力んだらダメ。欲を捨てよう。あるがまま。

ふくろうの知恵袋のひとりごと

ふくろうです。

自分の経験談なんだけれども、今回は現実的な話でいきますね。

ふくろうさんの場合は23歳からずっと商売をやってきたのね。

それこそ色んな資格をとったよ。商売をするための資格とか。

その中でこれかな?っていう感じの商売を見つけて、とりあえずそれでいくわけなんだけどね。

商売をやる時にお金が必要だよね。

親に頭を下げにいくんだけど、うちの親は2人とも商売をやっていて、親父は腕のいい家具師だったんだよね。

すすき野では結構名だたるところのカウンターを作ったり、いろいろ引っ張りだこだったみたいで、腕はぴか一いいんだよね。

ちなみに、家具師をしながら、オーナーに自分の会社の会議室、要するに豪邸を作ってくれないかって言われた。

ところがうちの親父は子供の頃から遊んでばっかりいて、尋常小学校3年生までしか出てなくて、なんとか字は書けるようになったかな。漢字はよくわからんと。

家が裕福だったので、バイオリンとハーモニカをひいて遊びまくっていた人だったんだよね。

その人間が家を建ててくれって言われても、どう建てたらいいのか全く分からんと。

それで家を建てている人に聞いたんだけど、全く何を言っているのか分からなかったらしい。

そこで、うちの親父は頭の中で考えたらしい。それが対角を用いてそこを三角形で作っていくと家具ってできるらしくて、それの応用をしたんだって言うんだよね。

意味はよくわからないんだけど、今から考えてみると黄金比ってあるよね。建物建てる時の。どうも彼はそれを自分で悟ってやったみたいだね。

家具でその比率を覚えたみたいだ。そしてそのまま家に応用したみたいだ。

なぜわざわざそれを言ったのかというと、その豪邸が北海道の重要文化財に指定されてるんだよね。でも親父は初めて創った家だったんだよね。

ふくろうさんもその血をひいて、0からものを考える気質なんだけど、親父からきているんだろうね。

勉強はできないが、面白い親父で、屁理屈よりも感覚、感性で生きていた親父だった。

懐かしき親父の姿が目の前にぽつんと現れたよ。

この親父が死んだとき、死んでから一度俺の家に来たんだよね。

その時に黄金色に光ってニコニコして口は開いていないのにこれから行くからって言うんだよね。

うわー綺麗だー!って思ったら、しゅっと消えていった。

あの時初めて人が黄金色に光っていくのをみたよ。

よくお釈迦様とか後ろが黄金色に輝いていっていうのは分かるよ。

あれは素晴らしい、なんとも言えない神秘だ。金の輝く色はこの世では最高のものなんだろうな。

ダイヤモンドは嘘だけど。笑。

で、親父はバイオリンとハーモニカを弾くっていう特技をもっていて、かなりの美男子だったんだよね。

ただ欠点があると言えば、背が低いんだよ。それで、ふくろうさんも親父の系統を受けたのかわからんけど、170いかなかったという。大した背が高くならなかったんだけど。

その親父も腕がよくってさ。お金も入るわね。

そしたら、だいたい美男子でハーモニカが吹けて、バイオリンを弾けて、それで金もそこそこあるってことになると、当然そこには女が寄ってくるわね。

それで2年くらいいなくなっちゃうわけだよ。

その間、家に金を送ってこないから、うちは金がないし、お袋は自分で生きていくしかないわけだ。

昔の人って偉いよね。旦那をあてにしているようであてにしてない部分があってね。

年いってからお袋と散歩しながらその話をした事があったんだけど、「お袋は親父をあてにしてなかったのか?」って聞いたら、「あてにしないもなにも、樺太から戦争当時命からがら引き揚げてきたけど、命があっただけよかったわ。その時に父さんがいたら、あれがあったらなんて考えてる余裕がないときだったぞ。とにかく母さんは酒が飲めたんで、一升瓶片手にね、屋台で一杯屋を始めたよ。子供をおんぶりながら、私も一緒に飲んで全部お客さんが払うっていうのをやったわ。そしたら、色んな話もある。うちに嫁にこないかとか、子どもも全部引き取るよとか、そんな話も実はあったんだ」と。

「そうだったんだ。親父は美男子だけど、お袋は顔よくないじゃん」って言ったら、「うるさい」って言われたたことあったけど、そんなんでも若かったからなんだべねって。親子の会話だよね。

「とにかく自分が酔っ払ったらしょうがないので、相手を酔っぱらせて自分も飲む、その酒題は全部相手持ちだから、頑張るしかないって頑張った。それで父さんは人間魚雷で出撃しましたよって言われたんで、死んだもんだって思って自分でやるしかないと思って。そんな時にひょいと幽霊かと思うみたいに出てきて、父さん曰く最初は出撃しようとしたが、故障が続いてとうとう終戦になってしまった」と。

そこで、ふくろうさんが末っ子として生まれたわけでね。

身体は弱くて可愛い女の子みたいな子供として生まれたみたいで、4歳まではずっとスカートをはいて、おかっぱ頭だったみたい。

大きくなった俺は写真を見て「これだーれ?」って聞いたら、「あんただよ」って。

すぐ上が姉で男兄弟が多かったから、一番下は女の子にしたかったみたいで、姉のおさがりを自分が着ていたみたい。

それで話を戻すとね、親父が1年2年いなくなっちゃうから、お袋が自分で生きるしかないと。

農機具、鍬とか鎌とかを作る商売を始めた。

お袋が社長になって兄貴たちが作って、おじさんも手伝うってことになって、小さいながらも10人くらいの会社で営んでいたわけだ。

ところが、当然のごとく不渡り手形を出して、それがヤクザに渡って、うちはヤクザに搾り取られるという状態になって、貧乏のどん底に陥ると。

そういう状況になったのが俺が小学2年生くらいの時だよね。

それからは、自分でどうお金を稼ぐかしか考えていなかったですよ。

ちなみにね、その当時一番稼げた商売があるんだよ。

商売っていうか、やばいことっていうか、、、お金持ちの家の庭を作る時に、造園会社の人が庭を作るための草花を仕入れるよね。

その草花の一番高いのが海岸沿いにあるんだよ。

本当はとってきてはいけないんだよ。

で、家族全員で行って、一人一個スコップ持って、俺は甥っ子たちの面倒をみている間に、大急ぎでその植物をとるんだよね。

それが50年ちょっと前の話。それで100万円こえたんだよ。すごいよね。

結構造園会社って儲けてるのかなー?

ちょっとした裏話でね。

やっちゃいけないけどさ。

人間貧乏で食っていけないってなると、何でもやっちゃうよね。

今貧乏な人いたら、周り見てみたら案外と宝物転がっているかもよ~?

自然に生えているモノの中で調べてみたらこれってすごく高く売れるんだなってあるみたい。

それを造園会社に持ち込んだら高く買ってくれるとか、あるかもね~。

そして、家族みんな働いていたし、自分も協力するために小学校2年生か3年生くらいで家族の料理を作って米といで、ご飯を作っていましたよ。

おかず屋さんへ行って、最後まで待っているとでんぶとか、昆布締めとか、その日に処理しないといけないものが残るんだよね。

自分の地区は良い感じの所で、うちが不渡りになってヤクザが来てっていう状況をみんな知っている訳だ。

だから、「いらっしゃい!これ持っていきなさい」って言われて、そのおかずがお兄ちゃんや親父の次の日のお弁当や朝ごはん、晩御飯にかわるわけだ。

そんな経験を踏まえて生きてきて、いよいよ自分で生きていくとなると、人に使われるのが嫌で23歳から自分で商売を始めたんだけど、その時の話をしたいわけよ。

前置きが長くなっちゃったんだけど、ごめんね。

要は今ね、みんなお金っていう部分で困っているというか、どうやれば手に入るかなって思っている方が多いよね?その話に触れたいわけ。

あのね、当然商売をやれば保証人っていうのが必要になってくるから、親に頼まないといけない。でもうちの親は「嫌だ」とあっさりと言われた。

「じゃ、しょうがねー」って色んな人の所を歩くんだけど、兄弟など全員からも断られた。「お前は信用できない」と。

その時に「俺は本当に信用が無かったんだな」って思った。

少しのお金で商売を始めたんだけど、運営費が足りない。どうしても必要。

当時1000万円くらい借りたかった。

銀行へ行ったら、「担保は何だ?」って言われて、「ありません」と。

「じゃ、金は貸せないよ」と、あっさり言われた。

とりあえずそこの銀行には通帳と形だけの資本金が置いてあるし、でも残高はないし。

「さて困ったなー」と色々自分で考えた。

「こうやったら金が入るかな?」「あれはどうかな?」「これはどうかな?」と色々考えたが、「結局ダメだろうな」って結論に達して、でもお金が必要になってくるし、どうしようって思っていた。

そこでふと思ったのは、一切何も考えない。そして、寝る。それを繰り返していたんだけど、いよいよ日にちも詰まってきた。「さあどうしようかな。やっぱり寝ていたんじゃらちあかないかな」って。

ある朝ご飯を食べている時に、「あ!俺今日銀行に行ってこよう」って思った。

「よし、今日はとりあえず銀行に何しに行く?」って自分に聞いたら、「とりあえず遊びにいけばいいんじゃない?金があるところは銀行ぐらいしかないし、とりあえず行ってみよう」と遊びに行ってみた。

そしたら、銀行員から「どうにかなりましたか?」って言われた。

「全く前に進みません」と、開き直っている自分がいる。

「そうですか」って。

「で、今日忙しい?」俺が聞いたら、「今空いてますよ」

俺「じゃ俺の話を少し聞かない?」って言った。

銀行員「じゃ社長さん何飲みますか?」

俺「コーヒー下さい」

銀行員「じゃ、奥に行きましょう」って、当時からコーヒーが大好きだった。

間仕切りしたところに2人で座って、色々と話をした。

自分ってこういう人間だよ。色んな経験をしてきた。

小学校2~3年生から金を得る為にひたすら考えてきて、中学生から人の相談にのってきた。先生まで相談に来た話。

そういうふうに自分って超凄い人間だったって、色んな話をしたんだよ。

で、「ふと社長さんいくら足りないの?」って聞かれて、「1000万円足りないんだけど、とりあえず500万円あればいい」「担保はあるの?」「一応小さい土地があるけれど、買った値段が確か40万円か50万円くらいの土地だから、担保にはならないだろうと思うけれど」って言うと「でもそれでも担保になると思う。ちょっと待ってください」って言っていなくなった。

で、戻ってきたときに、「社長さんこれやってくれますか?」って言われて。

「なんですか?これからの事業計画みたいなものを、前にももらったんだけど、もう一度面白おかしく書いてください。今の社長さんの面白い話をそのまま書いていいです。夢をいっぱい膨らませて、あなたらしい計画書を提出してくれますか?」って言われて、どうやって書いたらいいか一日中考えて、次の日に持っていった。

すると「いいですよ。500万円を融資しましょう」って、出た!

この話分かります?

要はみんなお金を欲しいって思った時、こんな方法あんな方法って思うよね。

でもそれって自分をすごく狭めていることになるんだよね。

でも世の中ってあるがままの自分で行くと、ポンと運が開けるものなんだよ。

実際にパラグアイに来て、土地を買って家を建てた。

建て増しも今大急ぎでやっている。

でも実は「パラグアイでなくても別に南極や砂漠でもいいかなー」ってマリさんと話していたんだよね。

「ここの街にいるには、そろそろ家とか土地を買わないといけないし、でもどうなるのかねー?なかなか見つからないし、ダラダラと土地探ししているのもお金があると思われて危険だし厳しいかねー」って言っていたんだけれど、マリが「大丈夫だよ」って言い出して、「とりあえず様子を見てみようか」ってことになった。

マリ
マリ

まさか自分が家建てれるなんて思ってもなかったんだけど、今から考えれば土地が見つかる1年以上前からしょっちゅう美しい音楽、いい香り、美しい色、ダビデ像みたいな銅像がたくさんある宮殿みたいな場所、彫刻品、装飾品、噴水、、、そんな美しい夢ばかり見ていたんだよね。

それは、完全に強運の夢だよね。

で、「何かが起きるよな?」って感じになったら、何かが起きたんです。

それで自分たちは家と土地を持つことになるんです。

パラグアイに移住して、レタス売りもやったし、屋根の修理もやったし、部屋の天井が抜けたから、全部バラして直したり、そうやってお金をもらったりして働いていましたよ。

ま、ある機械もあったので、それを売ったりもしながらやっていた。

でも、なんかね、一生懸命そうやってお金をつくらないといけないって思った時ってお金ってギリギリしか入ってこない。

何とか命を繋げられたかな?ってくらいの金しか出てこない。

その時の奥さんの開き直り。「なんとかなるよ」って思った時に運が開けるんですね。

運とは何か?っていうと、自分が創っちゃうんですね、そういう世界を。

お金が入ってきて、こうなって土地と家が持てるんだよって不思議となるもんなんですね。

自分は40歳まで商売をやってきたけれど、摩訶不思議なことがたくさんあった。

その時って本当に無欲なんです。欲を出した時ってまずダメだよね。仕事で失敗したし。

でも全く我欲がないで、「仕事があるよー、やりますかー?」「はーい」っていう力んでない時の方が高評価が出るんだよね。

「よし!これで儲けやる!」って気持ちでやるとクレームが出て逆に赤字になったとか。

今回自分が言いたかったのは、みんな欲を出しちゃだめだよって話。

欲が出ないっていうのはマリさんのように、「どうにかなるよ。とりあえず、眠いから寝よう」

この方法が精神がとっても穏やかになって、凄く良くなるんだろうね。

で、自分は何でもできるから、そういうものを引き寄せちゃうんだろうね。

これは自分が体験したことなんで、まず間違いないと思う。

選択の幅を狭めない事、これが一番です。

「私はこれだけでは食べていけない」って思ったらそうなっちゃう。

だから、「大丈夫」ってところから思わないとだめ。

実は昔宝くじで何億までいかないが、高額当選したことがあるんだけど、当時第一勧業銀行だった。

その2Fに行って、高額当選の場合は新しく通帳作ってもらってそこにお金が振り込まれるっていう仕組み。

宝くじに当たったことがある人は知っていると思う。

「印鑑ありますか?って聞かれた。うぉー!たまらなくいいんだよねー!宝くじがあたったときは無欲なんだけど、その時は不思議と当たってるもんだって思っていた。

宝くじにあたるっていうより、お金が入ってくるって思っていた。

どこから入ってくるのか分からないが、すっかりそう思っていた。

ふと後から思うと、「あの時そう思っていたなー」って。だからあたったんだなーって。

ま、何億円も当たったわけじゃないけどね。

そういうふうに欲を捨てる事がやっぱり一番願いが叶う近道みたいだよ。

ふと今回はこの話をしたかったんです。

今ね、お金というものに操られて、みんな大変だと思う。

でもね、ふくろうさんもさ、一番最初の結婚で19歳だからね。ふくろうさんは38歳の時に孫ができたからね。

そういうとんでもない人生を送っている人間なんだけど、それにマリさんが付き合ってくれるのは本当に感謝だよね。

ほんとうにこんなおじいちゃんをありがとうございますって言うしかない。

お陰さんで今は無欲で、幸せというのはこれ以上ないよなっていうのを味わっている最中ですけどね。

嬉しいことに、奥さんも同じこと言ってくれる。

「これ以上の幸せないわ」と。だから、うちは本当に幸せなんだろうなと。

ま、生きててよかったなー。出会えてよかったなーと思っていますよね。2人とも。

はたからみたら、「あんなおじいちゃんのどこがいいんだろう?」って思っているだろうけど、奥さん的には「他人は関係ない。かまうことない」って言っているからありがたいです。

みなさんとにかく欲を捨てて、夢見る少女なんだけど、力んだらだめですよ。

気楽にしてあんまり頭で考えないこと。考えないためには寝るしかないのかな。笑。

「寝れないから苦労するんでしょ?」っていう声が聞こえてきそうなんだよね。

俺もそうなんだわ。

それで寝れたら苦労しないよと。

それをマリさんに言いたい。

でも彼女はすごい。一日10時間以上寝れる。下手したら昼間もずっと寝れるらしい。

「うちに今こんな問題あるのに、あんた何で寝れるの?」って。これはすごいと思う。

みなさん真似したらいいと思う。

我が家で問題が起きたときに、朝起きて俺はマリさんに聞く。「悩んでる?」と。

彼女は「悩んでるよ」って言う。「いつまでも考えてもしょうがないよ」っていう感じ。

それで不思議なのは今から考えてみれば大きな問題が起きても、本当にどうにかなっちゃうこと。

力まないこと。それが欲を持たないって言う事にもつながる。

自分が言っているあるがまま。

それこそ中道の精神だと思うんだよね。

だから、以前に言った「右だ!左だ!」言ったら、それが自分に来る運を止めちゃうことになっちゃうんだよね。

だから、自分はあるがままでいようと。

すると、自然と運っていうものが飛んでくるって言う事なんだろうね。

「そんなんで良くなるんだったら苦労しなよ」って声が聞こえてきそうだが、世の中そんなもんだよ。

61年間生きてきて、そんなもんだったよ世の中。

20年前の俺ならそうは言えなかっただろうが、今の俺なら断言できる。

どうにかなるって思ったらどうにかなっている、それが一番正しい解決方法だったんだ。

っていうのを一番伝えたかった。

皆さんあるがままでゆっくりと良い夢を見てください~。