ふくろうです。
政治なんて全部パフォーマンスだよ。例えば、マリが劇場に行ったときに、「面白くて幸せだ」って思ったら、また次も行くよね?「くっだらねー」って思ったら二度と行かないよね。
それが政治にも当てはまってさ。それを見せることによって副産物ができるんだよな。
「人間同士が信用しなくなっていく」
なんかそれって今の時代にあたってるよね。「マスクをかけれ」っていう事でお互いに顔を隠すと人は人でなくなり、お互いの信用がなくなっていくんじゃないかな。今はそれが始まっているんじゃないの?
ツイッター内とかをみても、そういう雰囲気あるよな。
「信用しない」「お互いにけん制し合っている」
っていう部分があってさ。だから、リーダーとかにすがりたいって思うよね。そうすると宇宙人系、スピ系にどうしても人っていきたがっちゃうんじゃないかな。
だから、俺みたいなもんでも、くるんじゃないかな。すがりたいんじゃないかな。
「誰も信用できない時代だからこそ、本当は信用し合わないといけないんだ」って心では分かっているから、俺の言葉がうけるんじゃないかな。
「そうなのよ。人って本来は信用し合わないといけないのよ。」
って感じになって、それで目覚めてくるんじゃないかな。
宇宙人系にもそれがあるのかないのか分からないが、今大切なのは、そういう宇宙人系、高次元体にすがる、神様にすがる、もうそんな時じゃないんじゃないかな。
人間として「上が何をしようと自分たちは自分たちの人生なんだ」
「自分たちの人生って人に左右されるものではない」
「国に左右されるものではない」
ってここを理解しないといけないんじゃないかな。今はそれを理解する人間多くなってきているんじゃないかな。だから、自分みたいな言葉を気に留めてくれるんじゃないかな。
「お互いを信用したい」っていう気持ちが出てきているから、ふくろうさんの言葉を受け取ってくれるんじゃないかな。
「この世界の力によって封じられて壊されている、それを何とかしたい」と目覚めていく人が増えてきた。
国は要らないよね。自分たちに幸福というものを一切与えないから、従わない。これは当然の権利だと思う。
だから、昔の政治家は一生懸命国民に信用してもらおうと思って「金だ!」「土地だ!」って、報奨金っていうのを与えようとしていた。そういう意味において、昔の政治家の方が頑張っていたな。力で人民は抑えられないって分かっていたから。
でも今の時代は本当に愚かで、政治家に自立性がなくなった。ただ世界的な大きな力に従うか従わないかっていう時になっちゃったんじゃないかな。
だから、そういう意味においては「日本を改革する」っていう事は「世界を改革する」ことになるんじゃないかな。
「アメリカ、日本、ドイツなどの一国が変わっても世界は変わらないよ」じゃないと思う。
一国が勇気を奮って改革を起こすと、世界に波及していくのが今なんじゃないかな。
今は波長の低い世界で生きているんじゃなくて、波長が高まった世界で我々は生きているんじゃないかな。だから、一人一人の波動が上がれば、この電波は世界中に伝わる。
波動、電波に国境はない。火を起こした人間が出れば、他でも火を起こす。
一人一人が今どういう時なのかを考えないとだめだよ。「夢も希望もない今」じゃなくて、「色んな歴史があった最後を迎えている今」なんじゃないのかね。
だから、今まで偉大な歴史家たちがいて、悩み悲しみ色んな思いをもってこの歴史を動かしてきたと思うのね。その者たちの為にも、最後の尻の始末は我々がつけないといけないんだよ。それが今なんだよ。
結局、誰か一人が英雄になって統一しても、結局それは崩れさったっていうのを、たくさん書かれているのが歴史なんだ。
そして、縄文がなぜ何万年も続いたのかっていうと、英雄やヒーローはいなかったが、みんなが信頼し合ってものを共有して生きてきたから長く続いたんじゃないかな。
今自分たちは、過去においてやってきた先輩たちの偉業を最後に受け継いで、きちっと結論を出してあげないといけないだろう。
それが我々の使命だろうと思う。
だから、歴史も何が本当なのかはわからない。全部隠蔽され、改ざんされた文字しか残っていない。我々は歴史を紐解くときに、「感じる」しかないんだ。
今回大河ドラマで「麒麟がくる」っていうやつで、「本能寺の変」をやったわけだけど、案の定、「明智光秀が織田信長を殺害した」という話で終わるんだけど、やっぱりみんなもそういう風に思うんだろうか。
あれだけ偉業をなしている織田信長に対して、明智光秀っていうと二番手三番手くらいの知恵者だよね。それが織田信長を殺すことによって天下が治まるって思うだろうか?
そりゃ知恵がなくて力だけの武将ならそう考えたかもしれない。
でも明智光秀ほどのなかなかの知恵者が、それを分からないわけないよね。
よくこういう脚本を書けるなって思う。だって、普通に考えてやらないだろ。
じゃあ、誰がやったのか?
明らかに外国勢、イエスズ会だよね。必死になって「日本を支配するためにどうしたらいいのか」考えてやっていたわけだ。
だから、俺は感じたのは明智光秀だって織田信長だって他の武将も、一生懸命考えたし、その時の時代を生きたと思う。
でも後々になってくだらない歴史家たちは、その深く悩み考えたことをとらえることができない。俺は明智光秀や織田信長の苦労を感じ取ってやりたい。
くだらない歴史家によって、後の時代にくだらない歴史として作られる。実にくだらん。
間違いなく、君たちはすごかったはずだよ。日本を守ろうとしたはずだよ。
一番隠したい歴史というのは外国勢からの侵略だからね。とにかく西洋文化っていうのは侵略によって成り立った文化。さもユダヤ人って頭いいような顔をしているが、俺からいうと実に愚かだ。自らが産業を継続できないんだな。
彼らのものの考え方は金が基本的。だから略奪が多い。あるところからとれば金になる。ユダヤ人が頭いい民族だっていう情報が流れているが、俺的には「彼らは頭良くない」って思っている。
我々日本人の知恵から考えると10%くらいしかないと思う。日本人が本気になれば十分勝てると思う。
ぜひとも今の国会議員は全員辞めて欲しい。そして、我々が議員になりたいね。
「政治なんてできるんですか?」
「こんな程度の政治ならいくらでもできます。」
俺はそう言いたい。こんな程度っていうか、そもそも政治なんてやってない。だから、我々は本当の政治とはどういうものかを見せつけたい。我々がやれば世界はあっという間に変える事ができる。間違いない。
みなさんは「政治はできないものだ」って思っている。でも、今やっている政治なんてたいしたものじゃない。
物流と流通がそろったら、経済は必要ない。「国がどうのこうの」っていうのは邪魔くさいだけ。我々が政治をやると困るのはユダヤ系であり、金の亡者の支配層だけだろうね。我々は何も困らない。
今ね、この話をしているのは、それを実際にやるかやらないかっていうよりも、むしろ「自分たちで認識すること」が大切。
「私はできない」じゃないくて、「そうだ!政治家じゃなくてもできる時代になったんだ」って認識する事。すると必ずそういう者が現れる。我々の意思が飛ぶんだ。
「わかったよ」って言って、そういう人間が現れるものなんだ。これが歴史なんだよ。
だから人間同士が信用しなくなると、国というのはできていかない。歴史上、そういう事実がある。
例えば中国でいえば三国時代だよ。あの有名な孝明さんや劉備、玄徳、そういう者たちがいた三国時代。
なぜ三国時代だったのか?
自分たちは一国に統一したいんだけど、一般人同士が信用しなくなった時代なんだよ。その時に一つの国に統一しようと思っても絶対に無理。
一般人がそんな状態だと何をやっても無理。
すなわち、自分の味方を敵方に交渉してやったりする。すると敵方が、
「お前いくらお金をもらってるのか?自分はもっと金をやろう。」
「お金を沢山くれるなら、寝返るわ。」
こんな時代じゃ、政治ができないでしょ。誰が裏切り者なのか、いつ誰が裏切るか分からない。絶えずこの状態で、一般民衆も同様だった。
裏切り者と裏切り者じゃない者との見分けがつかないから、お互いを信用しない。それが社会全体に渦巻いていった時、国はまとまらなくなっちゃう。
日本ではちょうど織田信長の時代がそういう時だよね。
常に戦争ばっかりで、みんなも疲れだして、将軍も力が衰えてきた。そうなれば各武将が自分の足場を固めだすよね。隙あらば相手の国を狙う。
そうなればこずるい事でも何でも考える。そこにあるものは、「ずるさだけ」なんだよ。志とか、大志みたいなものはないんだよね。
そんな中で、織田信長という大志を抱くものが現れれちゃった。そりゃ、イエスズ会が見ていたら困るわ。
あの時代は武田信玄、上杉謙信、彼らは強いって有名だが、なぜ天下をとれなかったのか?
それは「お互いに信用がなかったから」
信用って部分を自分でちゃんと理解して、どうやったらいいのか?の方法論が分からなかった。
そこの部分をうまく理解してやっていこうとしたのが織田信長だととらえた方がいいよ。武田信玄も上杉謙信も自分の領土を固めるだけで精一杯でしょ。
いづれにしても、武田信玄、織田信長がどうのこうのじゃなくて、一般民衆がどういう状態か?によって国は変わっていく。一人一人の想いが上の者たちを動かしちゃうんだよね。
一般民衆を支配しやすいのはお互いに信頼し合わない時だと、誰かに頼りたい。昔だと大親分に頼りたい。
今だと、地方の頼りたい大親分がいない状態だから、日本国という全体の国をすがるしかなくなっちゃう。
そういう意味ではユダヤ系のやり方っていうのは、とにかく奴隷のように国に従うように仕向けたんだろうね。また昔とはちょっと違うんじゃないかな。とにかくうんもすんもない。
国民は奴隷で、上にいるものが支配。それしかない。日本だと明治以降から徐々にその体制をとっていったんだろうね。少しだけ国民にいい思いをさせながら、すなわち、飴を与えながら、国に全部従うと幸せになれるよと学校教育も含めて洗脳していったんだろうね。
一番は、戦後の学校教育だろうね。まだ戦前までは日本人もまだ活気があった。国に反発したりね。でも、戦後アメリカの支配が入って、教育制度っていうのが確立されたときに、我々はユダヤの術中にはまっていくことになる。
そして、メディア、テレビの出現によって洗脳を一般国民にもそのまま波及させていく。そうやって現在に至っていくということだろうね。
昔はメディアと教育がなかったから「民衆がお互いにいがみ合っている」「信用しない」そんな状態で支配者は支配しようと思っても無理だったけれど、今はメディアと教育によってお互いにいがみあってくれたほうが支配しやすくなっちゃった。
俺はそれが今なんじゃないか?ってことを言いたいわけ。今がお互いに信用しない時が来たんじゃないかな。
だからみんなは信用したくてツイッターなどのSNSをしきりにやりたがり、仲間を求めたがるんじゃないかな。
我々はもはや知能が低いわけじゃなくて、それを十分に感じ取れるだけの感性ももったし、熟成した人間だと思う。その中で我々は感じ取って、一番大切なのは「信頼なんだ」ってことが分かった。
この「信」を獲得するためにはどうしたいいのか?ってみんな悩んでいると思う。
自分はそこが今の世の中のポイントでないかって思うから、言う時がきたのかなって思って、ツイートとブログで言うだけの事は言ってみようと思って始めた。
「自分はあくまでも伝導役だ」って言っているが、本当にそう思う。自分が何かをするのではなく、皆が何かをするための、最初のちょっとした起爆剤になれればいいと思っているだけだよ。
もう動くときが来たかもしれないよ。
ツイッターの中でも現代の社会の中でも、理想は「信用していきたいんだ」ってあると思うが、現実的にもそうじゃないかな?って感じている人も多いと思う。
でも、どこかで我々が割り切ることをしないと、良いものまで変な色に染めちゃうことになるかもしれない。どこかで線引きは必要なのかもしれないよ。
それを今、我々は決断しないといけないかも。一番嫌な決断だよね。やりたくない決断だが、それをしないと前に進まない感じになったよね。
それが今でしょ。みなさんゆっくり考えてみてくださいよ。