南米パラグアイに移住したマリです。
地球にはものすごい種類の宇宙人がすでに住んでいるのを知っている人から、「宇宙人って本当にいるの?」と思っている人まで、宇宙人に対する考え方はさまざまだと思います。
日本に居た時は、私の友人たちは「今日UFOみたんだよ!七色に光ってびゅーんって飛んで行ったんだ!」とか、旦那も青空を指差し「マリ!!UFOだ!見て!」と言われた方角をみても、私にとっては青空だけで、まったく見ることができませんでした。
私にだけ、絶対に見せない設定にされているような感じがして、だんだんと「みんなが見ているし、私も見たい!」という思いだけが強くなっていきました。
それが、パラグアイへ来てから、変化が・・・
日本ではまったく見れなかったものたちが、私がパラグアイに来たことで、この地と肌が合うのか、だんだんと霊的に目覚めてきているのか、徐々に見えるように。
未だに衝撃だった体験。
時は2012年。
始めてパラグアイの地へ降り立ち、南米に下見に来たときのこと。
縁あってとある地元のお宅で、旦那と共に無償で畑作業を手伝っているときの話。
ここの畑を耕すと、土があまり肥えていない。
近くの林の中に入ると、落ち葉が分厚く重なっていて、手で触ってみると白い菌糸がぎっしり。
この白い菌糸と落ち葉は野菜にとっても、最高の天然の肥料。
旦那と共に麻袋をたくさん持って林の中に入り、「いい肥料だね~!」と言いながら、麻袋に落ち葉と菌糸をつめては畑へ運んでいた。
旦那が肥料をかついで畑へ持っていくとき、私はとっさに「私をひとりにしないで~!!」と、なぜか直感的に思った。
ひとり取り残された感じがするのだが、麻袋に肥料をつめる作業はやめずに続けていた。
(・・・なんか、怖い。)
(なんだろう。なんか視線を感じる・・・)
ふと、2mくらい離れたところにある倒木に目が留まる。
(なにかいる・・・)
その姿は、肉眼ではっきり見えるというより、心の目というか、私の心の中に映像が映る。
(なんだ、この小さい人。)と思った。
旦那が戻ってきて、林の中でお互いに何も言わずに黙々と作業を続けた。
日が暮れてきて、その日の作業を終えて帰宅する。
その日の夜、就寝前に旦那に聞いてみた。

今日、落ち葉を拾いに行ったとき、なにかいなかった!?

いたいた!あの倒木のところだよね?

なんだ。みえてたの!?あなたが落ち葉袋を持って畑へ行ってしまうとき、怖い!行かないで~!って思ったんだよね。

じゃあ、どんな奴だったか、絵に描いてみよう。

いいね!それぞれ描いて、せーので同じかどうか見せ合おう!
2人とも、お互いに見えないように描く。

できた?

できたよ。

せーの!はい!
2枚ともまったく同じ絵だった。

すごーい!!同じだ!!
頭はつるつるで大きく、ネコ目が大きく、鼻と口がほとんどない。
そして、身長は子供みたいに低い。
色は白かった。
あの倒木の上に座って、私たちを観察していたのだ。
見られている、観察されている感じで、私は非常に怖かった。
とくに何かをしてくるとかではなく、友好的でもなく敵対している感じでもない。
「我々を観察」していた。
見えていたものが2人とも一緒だったのが、鳥肌。
旦那はいろいろなものがみえるが、私がはっきり見えたのはそれがほとんど初めて。

これ、宇宙人だよ。

宇宙人なの!?やったー!でも、この宇宙人はちょっと親しめない感じだった。
その後は、畑作業をしていると、今度は丸くて白いまるでおばQみたいな感じのものが畑の端から端まで行ったり来たりふわふわ飛んでいる。
そのときは、畑作業をしながら、旦那に話しかけた。

ねぇ、なんか白くて丸いものがさっきから行ったり来たりしてるんだけど・・・

そうだね。
これも、同じものが見えていたみたいだ。
ふわふわ~っと。
そして、旦那と手伝っている農家のおやじの2人が自宅の電線の修理をしているとき、「さぁ、電線を引こう」となったとき、地面に置いたはずの巻いてある電線がまるごと消えてしまった。
いくら探しても見つからない。
5分ほどたち、もう駄目かと半ばあきらめかけたそのとき、何度も探した箇所に堂々と電線が置いてある。
農家のおやじいわく「よくいたずらされるんだよ。しょちゅうだよ。」とのこと。
一体何に!?
妖精か宇宙人か、、、妖精にはよくいたずら好きがいると聞くが。
世の中には得体の知れないもの、いろんなものがいるんだな~、と改めて実感しました。
とりわけ宇宙人は種類が多く、人間の姿をしているものもいたりして(旦那が言うには、マリ!あんたも宇宙人なんだよ!俺は普通の地球人だからあんたの行動が理解不能だ、と言われ続けています)、いい種族と悪い種族がいるそうなので、みなさんも万が一遭遇しても、良い種族か悪い種族か見極める心の目が必要みたいですよ。
南米で宇宙人と遭遇したこの年は、アセンションすると大騒ぎだった2012年の話。
私の人生ものるかそるか、入籍と南米移住を決めたときで、大きく人生の分岐点に差し掛かっているとき、私の中の何かも開花しはじめているときでした。
よくよく振り返ってみると、私にとっては2011年3月11日の福島原発事故から人生が少しずつ変わり、急展開の2012年だったので、私らしい本来の道を踏み外していたから、大きな軌道修正に入った感じ。
アセンションしまくって?人生の波にのりまくっていた頃でしたね。
今では大きな軌道修正が終わり、お陰様で私らしい道を歩き、毎日が幸福・充足感でいっぱいです。