【豆知識】鳥居について。

ふくろうの知恵袋のひとりごと

ふくろうです。

ツイッターで鳥居の話が出て「鳥居って何ですか?」って質問が出たんで、本当は鳥居についてあんまり触れたくないんだけど、ちょっとだけ言うね。

基本的に鳥居というのは、元々は石で蓋をしたものって考えていいと思うのね。

どういうこと?っていうと、要は封印した状態なんだよ。封印っていうとね、悪いっていうイメージあるよね。悪い者を閉じ込める。でもね、悪い者もいるけど良い者もいるのが神様の領域なの。

説明するよ。要するに神様って何?っていうと、今皆さんの中でレムリアに還りたいって言っている人がいるよね。「はい、レムリアに私は還りまーす」帰っちゃいました。

でもね、中にはね、このマトリックスの世界においても、皆を何とかしてやりたいんだって思う魂もいるわけ。その人たちはレムリアに帰らずに何とかここに残りたいって思ったわけ。その時に創ったのが神様の領域なんだ。

創ったって、どういうことかというと、許可されたっていうかね。じゃあ、神様っていう領域において、やりなさいよって言われた、指導されたって思ってもいいと思う。

そこで条件を付けられるわけ。ある一定の所で人々に色々教えてあげなさいと。あなた方が残って色んな人たちに一人ずつにあたっていくと、収拾がつかないことにもなる。

だから、あえて一つの場所からパワーみたいなのを送って皆に指導しなさいっていうふうに創ったわけだ。それが霊山だとか言われるような所だよね。

その時に色んな男を騙したりする女狐だとか、色々する悪い妖怪みたいなのいるわけ。妖怪というのは人間になれなかったものだよね。人間もどきだ。その妖怪たちを何とか見張っててください、と頼まれるわけ。頼まれたのが神さまたち。「わかったよ」と。

女狐たちに話をしときなさい。神様のあの領域に行ったら、お前たちは人になれるよ。みんなに崇めてもらえるんだよ。お前さん方は本当は偉かったんだよ、と騙して門の中に入れちゃった。

その監視役として俗にいう神様が結界をはって、その魔物たちも出て行かないようにしたわけだ。そういうことで封印をした。

それが鳥居という状態になるんだけど、あれは門ではないんだよね。門ってものの言い方がすごく難しいんだ。入り口なんだ。門と入り口はふくろう的に言えば違うんだ。門は門であって、入り口は入り口。

その入り口から入っちゃうと、そこって良い人もいるけど悪い人もいるわけでしょ。魔物もいる。そしたらその領域に人間が入って悪い奴が人間にとりついて、その入り口から人間と一緒に出てって、人間界に来たらどうなるの?悪さをするよね。

要するに何で鳥居みたいなのを創ったのかというと、悪さをさせる為に誰かが悪知恵を働かせて創った可能性がある。あんなの基本的に神社関係ないから。

鳥居と神社を同一視している人がいるけど、全く別もの。鳥居はあくまで封印するもの。

神社は何かを祭っているっていう意味。本来は人々の念を集めた所っていう風に考えてもいいんだよ。要するに我々っていうのは一人一人が力を持っているんだけど、レムリアの図書館からいつも情報がくるわけじゃないから、レムリアが考えたのは、ある特定の場所にエネルギーみたいなのを集めたのが、石。

前にふくろうが石と水って話して、石も重要だよねって言ったのは、石にエネルギーをため込めるっていう性質をもっている。これは、基本的に我々は個人なわけ。ところが石と水は複数の意思が入る事ができる。それが石であり、水である。入るという語弊がある。石も回すことができるんで。

ただご神木は?って話になるよね。木というのは個。複数は入れない。だから、石と水は異なるものではなく、同一のものっていうふうに認識してもいいんじゃないかな?水が見えるようになったのが石なのかなって思ってもいいと思う。

いい?ここで石について気を付けないといけないのは、ふくろうが前に言ったよね?水も悪いものも伝達してくるよ、情報として、と。石も悪いものも入れるんだよ。だから怨念みたいのも石に憑りつくこともできる。だが良い石もある。ここがとっても石の難しい所。

この辺について、鳥居にしても石にしてもなかなか説明できないなと思ったのは皆さんの理解レベルなんだ。頭が良い悪いの話じゃないんだ。

お釈迦様の域の話で、人には分かる波長域があるわけ。ある程度の波長域に達しないと理解できない。頭ではなく身体が震えない。理解ができるということは身体が震えるっていうふうに考えても良いと思う。身体が震えると理解できる。

でも今かなりの人間が石や鳥居の話をしても、少し身体が震える人が増えてきた気がしているので、ぼちぼちいってみようかなと思って、喋ってみた。

この話はちょっと長くなったので、豆知識として、ブログにのせます。自分でペンを持って紙に文章で書こうと思ったら書けない。何でだろう?どうしても文で書くと皆に誤解されるみたいなんだ。

だから、話しなさいって言われているんで、ふくろうが喋ってマリにPCで打ってもらっている。言葉で伝えた方が良いみたい。だから大体このまんまの状態でブログ記事になると思うんで、こういう風にふくろうが喋っていると思ってね。これは文章ではなく、喋っている。

何で喋ることにこだわるのか?これはとっても大切な所。文字と、言葉って違うんだよ。だから、ふくろうがツイートで出す時っていうのは、奥さんに喋る時が多いんだけど、最近は奥さんも大変だから、自分でメモ紙に文で書いているんだけど、その時自分で喋りながら書いている。だから時たま文がおかしいときがある。

この話すっていうことと、文を書くのは違うんだ。ふくろうとしては、できるだけ、喋っているものを皆さんに伝えたいと思ってます。奥さんにPCで打ってくれって言ったのはそういうこと。パワーが全然違う。文字に置き換えないから。文字に置き換えるとパワーがすごく下がるんだ。

だから、文字を編み出しているのも、あれはパワーを上げる為じゃないんだよね。ここは聖書の創世記は少しだけ正しい事言っているんだけど、最初に言葉があったって言い方するんだけど、あの言葉って文字とは言わないはず。言葉っていう。言葉って言霊。力があるんだよね。

ここの部分は今まで誰かが言霊について喋っているから、あえて長々喋らなくていいと思う。言霊は力があるから気を付けた方が良いなって思うね。

その言葉のパワーを落とすために文字は編み出されたっていう事も頭の中で置いておいた方が良いと思うな。こういう理論を言った人は居ないと思うんだけどさ。

文字はそういう意味じゃないんじゃないの?って反論くると思うけど、ふくろう的にはこれはパワーを落とすもの。伝えるものではない。

いい?我々ってね、文字がなくても分かる様になっている。文字があるという事は人はその文字に頼る。すると本来の自分たちのエスパー的なテレパシー的な力を落としちゃう。

だから、文字はパワーを落とす。頼っちゃうんだよ、文字に。本来言葉というのも少し落とすことになるが、言葉は心の中で言う事によって、伝える事が出来るんで、これはある低い所の波長において使う手法なんだよ。低いレベルだよっていうこと。この低いレベルの言葉をさらに下げようとしたのがこの文字なんだよ。

ちょっとかなり変な説明になったと思うんだけど、信じる者は信じて下さい。信じない者は信じないで下さい。ふくろうのたわ言だと思って下さい。