今だから話せるパラグアイでの波乱の出産体験!

*【南米パラグアイ】生活情報*

まりです。

2013年、パラグアイへ移住&出産してから時が流れます。

私の人生の中で子供たちの出産が1位を争うくらい過酷だった経験、それに私だけではなくふくろうさんも子供たちにとっても過酷だったので、なかなか記事にすることができませんでした。

苦労するの分かっていて、なんでわざわざパラグアイで産むのか?

って聞かれそうですが、日本も今後どうなるか分からないですし、日本とパラグアイの二重国籍を子供が持っていれば、20歳になったらどちらか選ばないといけないのですが、のちのち役に立つと思ったからです。

今でこそ自分の土地と新居を構えることができ、うつ病も治り、落ち着いた生活をしていますが、パラグアイ移住と出産を同時に体験した時は結構苦難な道でした。

初めての妊娠が分かったのは移住資金を貯めるために、仕事で東京に住んでいたときのこと。

掃除をする仕事を請け負い毎日表の掃除をするのですが、その道の端にお地蔵さんがたっており、私が仕事で掃除を始めるまではお花やお供え物がなく、どこか寂しく落ち葉などゴミがたまっていて汚い印象がありました。

私もふくろうさんもそのお地蔵さんを放っておくことが出来ず、お花を購入し枯れたら取り替え、毎日清掃と水替えを心がけていました。

そうしたら自然と誰かがお供え物をしてくださるようになり、手を合わせていく人が見受けられました。

「よかったなぁ」と思っていたそんな中、いつものようにお地蔵さんの前を掃いていたとき、赤いハート型の葉っぱが落ちており、植物は大好きですが赤いハート型の葉っぱを見るのは初めてで驚きました。

ちなみに、第二子妊娠初期にも同じく赤いハート型の葉っぱをパラグアイで拾いました。

そして「まさか本当に妊娠しているのでは」と思いました。

私は毎朝基礎体温をまめに測ってグラフにしていたのですが、「最近は体温が上がったまま下がらずどうしたのだろう?」程度にしか思っていませんでした。

そして生理もこなかったので妊娠の可能性が高まり、近所の産婦人科へ受診してみることに。

その際何軒か電話で「妊娠しているかどうか知りたいのですが料金は?」と聞いたらどこも1万円~3万円程だったことを記憶しています。

「高いなぁ」と思いつつも近所の産婦人科へ、やはり妊娠していました。

子供が大きくなった時にどのような状況だったのかのちのち知ることが出来たら、さらに孫が産まれる時の参考になるだろうと思い、妊娠が分かってから毎日ノートに日記をつけることにしました。

今日はこんな出来事があって、こんなものを食べた、おばあちゃんから産まれてくる孫へこんなものを用意してくれた、定期健診へ行った話などなど、、、産まれる前も産まれた後もずっと書き続けています。

のちのち宝物になるでしょう。

エコーを何回か受診しましたが恥ずかしがり屋なのかお顔を手で覆ったり、反対方向を向いたりしてなかなか顔の写真を撮らせてくれませんでした。

つわりは3ヶ月ごろに疲れたら少しめまいがする程度で、順調に子供が育っていきました。

初めてのお産を日本でするか、これから移住する予定のパラグアイでするか悩んでいました。

当時移住資金を貯めるために東京に住んでいたのですが近所の出産できる病院を片っ端から電話し、出産費用をたずねました。

返ってきた答えは安くても55万から、でも遠いところです。

東京だからなのかうちの近所で100万円以上、出産手当をもらっても大赤字になってしまいます。

昔は一人子供を産んだら儲かるようになっていたと聞きましたが、いつからか赤字になるように設定されています。

これでは日本の若者は金銭的に安心して出産することが出来ません。

かといってある程度資金がたまった40前後になってくると高齢出産になってしまう為、妊娠しづらくなってきてしまいます。

つまり、出産できにくい仕組みになっているというわけです。

妊娠7か月目にパラグアイへ移住

それに、医療介入が多く自然なお産ができない可能性があるのと、日本の今後の行く末が危ぶまれると、思い切って妊娠7ヶ月目で飛行機に乗ってパラグアイへ移住しました。

以前に下見には来ていたので、移住する場所は決めており、現地で病院を探し出産しました。

現地で勧められたのは首都アスンシオンの赤十字病院(今から考えるとヤバイですよね)で確か個室入院費合わせ3万円ほどてした。

出産予定日が近づきなんとなく子宮が収縮する感じがして病院へ行くと子宮口が1cmしか開いておらず特に問題はありませんでしたが、即入院と言われ点滴をされ、子宮口が開ききるのを待ってくれずすぐに促進剤を打たれ、お腹が痛いだけで全然子宮口が開かず、すぐに帝王切開となってしまいました。

医者は赤ちゃんが出てくるまで待ってくれる忍耐力がなく、ベッドを早く次の人にあけたいがためにお産を人工的にすすめるのが今のお産スタイルなのですね。

パラグアイや他の南米の国々は「なんで痛い思いをして産むの?」というお国柄らしく、逆に医療施設が整っている病院ではすぐに帝王切開になってしまうことを身に染みて分かりました。

パラグアイでは帝王切開で2泊3日で、退院。

普通分娩では翌日、もしくはその日に退院します。

日本みたいに1週間身体を病院で休めることはありません。

移住しょっぱなから人を信用したらダメなことを痛感

現地で生まれた日系人の方が「大丈夫!私がついてるから!」と言ったのを信じてしまったのですが、実際にはあまり来ないし、病院のシステムや手続き方法などを一切教えてもらえず、嵐のように居なくなってしまいました。

完全放置状態。笑。

しかもその日系人の実家で一緒に住みながらふくろうさんが農業を教えるという話で来て、大きなお腹の私とふくろうさんの2人で家を一通り改修工事してあげた。

材料も全部こちらが用意して、終わりかけの頃を見計らって、そこの家の男から「何で俺の悪口言うんだ!出ていけ!」と意味不明ないいがかりをつけられ、追い出された。

言われて翌日に街中で家を探し、運よく作りたての倉庫の隣の管理人室があって、まだドアや窓がついてない状態で、うちらが工事をやるという約束をして入居。

もうこの時は臨月に入っていました。

臨月で追い出す人がいるなんて、人間以下です。

パラグアイに来たばかりで、病院のシステムは何が何だか分からず、手続きも分からない、私が産後動けない中、スペイン語話さないふくろうさんが北海道弁とジェスチャーで駆け回って処理してくれました。

手術や薬、何から何まで隣の薬局へ行ってその都度自分で買ってこい、っていうシステム。

入院中私は動けないからふくろうさんが買いに行ってくれました。

それもまとめてじゃなくて、必要になったらいちいち言ってくるから面倒。

しかも、出産後に友人から聞いたのは「あそこの病院は誘拐がしょっちゅう起きてるところだから赤ちゃん無事でよかったね。特に日本人の子は人気だからね。」と言われました。

言われてみれば病院の入り口にパラグアイ人男性が立っていて、ふくろうさんに「赤ちゃん抱かせて」と言ってきたそうです。

ふくろうさんは、スペイン語をしゃべらないですが嫌な感じがして「嫌だ」とずっと拒否し続けていたそうです。

そういう男性と院内の看護師と連携して、まだ国に登録してない子供を盗み、主にアルゼンチンで売りさばく。

特に日本人の子は人気で高いそうです。

それに赤十字病院なんたら、今から考えると特に危ない病院でしたよね。

第二子出産

第二子出産は、以前の赤十字病院はやめて、アスンシオンの国立病院で出産することになりました。

実は第二子も結構出産ギリギリまで出産する病院が決まってなかったんです。笑。

そこの国立病院へ行くと、たまたまJICAで来ている日本人看護師さんがボランティアされていて、病院内に内科外科など分かれている科のどの医者とも顔が利き、私は遠方から来ている旨を話すると事前検査など、整理番号を取ってないのですが優先的に書いてくれました。

運がよかったです。

出産日の予約をして、田舎に帰って準備をした。

いよいよ明後日早朝にバスに乗って、出産しに行くぞー!って時。

ある友人から連絡が入る。

「パラグアイ来たよー!今からそっち向かいまーす。」

何の前触れもなく来たーー!!

この人、実は今までも我が家の引っ越しなど、重要イベントの時になぜかふらっとやってくる人。

「えー!?明後日出産でアスンシオン行くけど一緒に行きます!?」って感じで、みんなで病院へ向かう。

無事帝王切開終えて、入院。友人は宿へ戻っていった。

しかし、ここで問題が。

私と息子は入院しても、旦那と娘の泊まる場所がない!

いつもの宿は満員で泊まれない!

どうしよう、と思ってもどうしようもない!

娘と旦那は出産当日、4時間かけてバスで田舎に帰るしかない。

しかも40度越え。

私は帝王切開なので翌日も一日麻酔が切れるまで動けない。

看護師は何もしてくれない。

同じベッドに赤ちゃんはいるのだが、動けないからおしめを変えてあげられないし、お乳もあげられない。

腹が立ってきて無理やり点滴をはいで動こうとすると、隣のベッドの介助者のお母さんが見かねて「やめなさい。誰もいないようだし、私がおしめかえてあげるから。」と言って、パラグアイ人のお母さんがお世話してくれました。

その後も、飲み物や食べ物を差し入れしてくれたりして、泣きそうになりながら受け取りました。

本当は、入院者には付添人が必ずみんなついていて、看護師から突然必要なものを買ってくるように言われたりするので、そういう役目のためにつかないといけないのですが、うちの場合は旦那と娘と私だけで、誰にも頼れません。

まぁ、それも覚悟のうえで進んでいる道ですが。

翌日、再度片道4時間かけて病院まで子供と旦那が様子を見に来てくれた。

まだ当時4歳の娘を連れた旦那が病室に入ってきたのだが、看護師がめちゃくちゃうるさい。

「子供は病室に入るな!」だと。

弟の初対面を楽しみにしていた娘と旦那は息子に会わずに、外に追い出された。

そして、2人とも激怒していた。

娘は建物のドアの前で仁王立ちして、腕組をして通る人全員を睨んでいた。

娘がこんなにも激怒する姿を見たのは初めてだった。

追い出した看護師を私が捕まえ、「私の入院中にサポートしてくれる人、旦那と娘以外誰もいないんです。しかも、アスンシオンの宿は年末でどこも満員で泊まれないから、4時間バスに乗って今日もまた来たんです。あなたはなんてことしてくれたんだ!」って言って産後の精神的に不安定な心情も相まって、号泣しながら話すると、「それはすまない。入るように伝えて」と言われ、外にいる娘と旦那の元へ行く。

旦那は「もう俺たちは帰る!」

と言ってわずか5分もたたずに、また4時間かけてバスに乗って帰ってしまった。

私はこの出来事で、病室で号泣。

相部屋の他の2人のパラグアイ人の妊婦や出産後のお母さんも、もらい泣きをはじめてしまい、それぞれもまた抱えている問題を暴露し、みんなでしばらく泣き合っていた。

つまり、入院中は感染予防の為に子供入室お断り。うちらに信頼して娘を預けられる人はいない。

一応病院で付添が泊まれるベッドはあるのだが、旦那は泊まれない。

普通の国立病院なんだけどキリスト教が入っていて宿泊は男性禁止。

それだけ宗教が根深いということです。

手術の時は針と糸を薬局で自分で買ってこい、傷の保護するシートも買ってこい、薬も買ってこい、頼りの旦那は娘がついていて入れなかったのでどうしょうもならない状態でした。

出生翌日にワクチン打たされる国

パラグアイでは出産翌日に、第一子の場合は何も言われずに看護師が突然娘を連れて行ってしまい、生まれた翌日にワクチン打たされました。

赤ちゃんの免疫の話は一体どうなるんだ、って感じですが。

第二子目出産翌日も何も言わず病室に私服の2人組が来て、断る隙もなく、ものすごい速さでワクチン打って逃げるように出ていきました。

ホメオパシーと毒消しの天然薬があるのでそれで後日赤ちゃんの毒だししましたけど。

ま、世界どこ行ってもワクチンはうるさいからねー。

知り合いのワクチン反対のヨーロピアンは出産翌日にワクチンどうのこうの言われる前に退院したそうです。

事務手続き

パラグアイでの出生登録所は娘も息子も病院内の一室にあり、そこで病院からもらった紙を持っていって、新生児の名前を登録、そして必ず両親のサインをします。

すると、当日もしくは翌日にパラグアイの出生証明書が完成。

パラグアイで産まれた子はパラグアイ国籍を持ちます。

そして、そのパラグアイの出生証明書を日本大使館に持っていくと、日本国籍も取得できます。

日本国籍の場合は届け出に期限があるので、その期限までに登録できなければ、日本国籍は取得できません。

確か20歳くらいまでは二重国籍OKです(現時点では)

そして2か国のパスポートも作ることが出来ます。

日本だと「二重国籍はいけない!」みたいな雰囲気作りしていますが、海外にくると、三重国籍、四重国籍なんて結構普通です。

よく「日本国籍者がパラグアイに移住するとパラグアイ国籍になるのか?」って質問あるんですが、パラグアイ国籍に帰化できた日本人はパラグアイ政府で大臣をするため、現時点では1人だけです。

日本国籍者は日本国籍者のままです。

逆に、日本では外国人が日本国籍に帰化することは難しくないらしく、そんな環境だからそういった質問がくるみたいです。

簡単には他の国に帰化できないのが世界的には普通だと思いますけれど、日本って特殊なんですね。

ふくろうさんより

パラグアイでは日本国籍者は日本国籍者のまま居住許可がおりるだけということです。

今回のコロナの件で、海外在住日本人に対する給付金の話が出ていましたが、パラグアイの日本大使館で聞くと「全く分からない。3年か4年たった時に出るかもしれない」というのが驚き。

どういうことのなの?って聞くと「日本というのは外務省と、お金を出すところの省が違ったら時間がかかる」とのこと。

10万円が欲しいとか欲しくないとかいう話ではなく、俺は「海外に住む日本国籍者に対して、日本政府はどのように動くのか」を注視していた。

日本政府からも無視、パラグアイ政府からも外国人は無視。

うちはそれでいいんだけれどね。

他の国では外国人居住者でも支援金出ているが。

でも、パラグアイ政府へは文書をこれから送る予定でいます。もしくは直談判。

パラグアイ政府からは何の支援もなく、外国人を含む国民に命令だけするのか?と。

そういう文書を送れるルートはあるから。

俺が日本にいたら、国会への伝手は必ずあるから、市から県、そして国会へと

国籍って保障や助けをしてくれるところじゃないの?

何が国籍だ。

何がパラグアイ人だ。

国って何ですか?

国民に対して言う事聞け、何もしないのに。

パラグアイでもマスクが法律化された。

だったらマスク送って来いよ!

マスクはしなさい、マスクは自分で買いなさい。

こんな国に文句言うのは道理が通らないからでしょう?

何で国が何もしてくれないのに、言う事を聞け?

「いつ民主国家から独裁国家になったんだ、バカ者!」って何でみんな言えないんだよ。

俺らがこれからパラグアイで戦っていくのは、自分たちは日本人だ。パラグアイ人じゃない。でも、娘や息子はパラグアイ人だ。

だから、ここで戦っていこうと思う。

日本政府に対してもパラグアイ政府に対しても。

国なんていらねーんだよ。百害あって一利なし。

日本人は大人しすぎるよ。

どう考えても道理が通らないよ。

「何言ってんだよ!保証しねーであれやれこれやれ道理が通らねーだろ!そのために税金払っているんだろ!」って。

国に文句言うのは当たり前のこと。

文句言わねーから国は調子こくだけの話。

日本政府を干上がらせるなんて簡単だ。

産前産後に気を付けたいこと☆
マリです。 一人目が帝王切開だったので2017年に産まれた二人目も帝王切開となりましたが、驚いたことに今回は産後の回復が早かったのです。 まず、第一子第二子共に妊娠中にヨガやストレッチは欠かさなかったのですが、第二子目では産前産後のホメオパシーのケアをしました。 ホメオパシーは受講し勉強されて資格をとるのもいいのですが、とらなくても誰でも独学で勉強してどんどん使っていけるようになっています。