思考と記憶の違い。

マンデラ体験

 

マリ
マリ

ふくろうさん

 

マンデラは記憶の問題ではなく、思考の問題なんだよね?

 

思考と記憶の違いはなんだろう?

 

「根本的に世の中っていうのは、思考で出来ているんだ」っていうのが自分の考え方で「今末法の時がきて、明らかにされる時代がきた。だから折り返し地点なんだよね」って表現も以前に使った。

ではなんでマンデラ現象が起きるのかって言うと、マンデラ現象の答えは出せないと思っているんだけど、個人的な見解として自分が感じているのは「これから過去世が明らかにされ、それをすべて自分で認識できるようになる。」だと思う。

生まれ変わりがなくなっていく、同時に記憶というのを今まで消されていたが、そのシステムがなくなっていく、そうすると当然過去世が全部分かってくる。

何人か自分の周りで過去世を全部見せられた人間がいて、そのうちの一人が耐えられずに首をつって死んでしまったんだよね。

なぜ過去世を見せられると耐えられなくて自殺してしまったんだろうって考えるとね。

殺される場面、虐待されたひどい場面もある。

それが自分の経験として全部見せられたら、普通の状態では精神がもたないんじゃないかな。

そこで我々は少しずつ過去世を見るための精神状態を保つために、まずは物質現象として世の中のことを明らかにする。

それがマンデラだろうと思っている。だから人それぞれによってマンデラの大きさや事柄が変わってくるんだと思う。

これ面白い話があって、ある方が「カナダはアフリカの下にあったんだよね」って言った。

ところが俺には全くその記憶がないんだよ。

オーストラリアが変わったのは同じ記憶を持っている。

それでね、今、あえて言ったのは記憶でしょう?

でも、マンデラというのは記憶ではないはず。

ついつい我々は「記憶」「記憶違い」って何回も言ってしまうが、記憶とはどこの部分の話なのかっていうと、この身体は自分的には幻想の身体だと思っているが、記憶は脳の機能の話でしょう?

魂とはまた違う機能をもった脳が記憶しているかしていないかの話。

正直カナダがアフリカの下にあったって言われると「そんなバカな」って頭によぎる。

それは自分には記憶がないから、脳は否定形に入る。

「そんなバカな話はない」

自分の記憶がないことはすべて嘘だ、って思っちゃう人間がいる。

「自分がそれは嘘なんだ」って思っちゃうと、それで終わっちゃう。

ただ単に脳の中に記憶がないんじゃなくて薄いだけじゃないの?って自分で理解した。

要するに自分はその時代に、ひょっとしたら生きてなかったかもって思う。

その方はカナダがアフリカの下にあった時に生きていた。

ところが自分はちょうどその時代はあの世に行っていて、産まれてなかった。だから俺は記憶にないって理解した。

「そんなの記憶にない。嘘だ」って言ったら、それで話は終わっちゃうんじゃないかな。

だから、ここで一つ考えていかないといけないのが、記憶と思考の違いっていうのを頭で分けなければ、ごちゃごちゃになるんじゃないかな。

今の所、記憶ほど曖昧なものってないよね。

我々は過去世を自分でみることができない。

そうなると、理屈的に自分の記憶は曖昧になってしまう。

これが今回、マンデラ現象が何で起きるのかなって思った、一つの仮説として出てきた答えなんだよね。

もう一度分かりやすくいうと、我々はこれからすべての記憶がよみがえる様になる。そのためには精神状態をもっと保たないといけないし。

それは、霊性を上げるってこと。

波動を上げるってことになるんじゃないかな。

霊性を上げることによって、自殺を防止することになるんじゃないかな。

全部見せられた時にパニック状態が起きない。

現に我々が一番最初にマンデラを感じた時、何年か前から起きていたが、その時は物がなくなるのを宇宙人のせいにしたり「最近勘違いが多いよね」って話してた。

「記憶違い」「勘違い」ってずっと思っていた。

でも今から考えるとそれはマンデラ現象だったんだ。

それが明らかに自分だけではなくて、自分の場合は妻や子供たちも含めた複数で、ピンクの花が咲く木がぽんと出てしまった。

「それは勘違いなのかな」の話ではなくなってしまった。

「私もそう思うよ」って3人が同時にそう結論を出した。

ということは勘違いではない。事実なんだって。

そこら辺からおかしいなって思うわけだ。

そしたらいきなり、変化が訪れてきたわけだ。

それが突然、今まで記憶が勘違い程度で終わっていたのが「勘違いの部分がより鮮明になった」っていう風な表現をした方がいいのかな。

確かに動いた。変わったとかが鮮明に分かる様になってきた。

具体的にここにあったものがここまで移動したよって記憶に残る様になってきた。

ただ、不思議なのは距離が短くなったりした切り取られた部分は、どこに行っちゃったのかって、一生懸命前の記憶を出そうとしても、思い出せない。

でも「そこは違うんだ」っていう事だけは明確になる。

ここで我々が一つ感じないといけないのが、人間の記憶はいかに曖昧かってことだよね。

実は記憶って自分たちでは確かだと思っているが、曖昧なものだったんだよね。

世の中は絶えず変わっている。

ひっきりなしにどんどん変わっていっている。

それはなぜか。

思考で出来ているから。

だか皆が「世の中あまりにもおかしい」って考え気づきだすと、色は濃くなっていって、俺は茶色から黒の部分になっていくと思う。

それが色。

色は自分たちの心、魂を投影するんだろうな。

記憶に集中しちゃうと、わかんなくなっちゃうんだよね。

街がすべて変わったのは嘘だってなっちゃう。

そんなことはあり得ない。記憶だから。

記憶は建物があったかなかったか、ぐらいのものはあるだろう。

それがうちが経験した「町が移動した」「町の中身が変わった」っていうのは、記憶じゃない、勘違いだってなる。

でも「自分たちは思考で世の中が出来ているんだ」ってしっかりと脳に叩き込んでいるので、町の中身はごろんと変わるっていうのも理解できるんだよね。

自分たちは町がごろんと変わって、肝心要の銀行がなくなってしまった。

そこの街は金融の街と、前の私たちの記憶では言われていた町だったんだけれど、つい先日友人と綿の話になっていろいろと話していたら、金融の街は「機織りの街で有名なんだよね」って初めて聞く話なんだわ。

自分たちの記憶ではない。

これが記憶違いではなく、「思考がみんな変わるとそういう風に町が全部変わる」っていうことになっちゃうんだよね。

記憶が違うんじゃない。

思考がみんな変わったんだ。

思考が変わると町は変わるんだ。

駅の位置が変わるんだ。

そこれこそ、民主主義かもしれないね。

多数の人間の思考のいい方に駅が変わってしまうかもしれない。

そうすると、ある一部の人間にとっては駅は遠くなっちゃう可能性がある。

これもまた自分は面白いなって思うんだけどね。

これに関しては自分たちは小さな町に住んでいるので、あまり体感はしてないんだよね。

うちの小さい田舎街は小さな変化だよ。

木の電信柱が立派なコンクリートに変わったりとか。

面白いのが理屈がつかない事やっているんだよね。

変化する前の世界では木の電柱だから、虫が食う。

虫を止めるために腐食剤を塗っていた。

それが白の腐食剤。木の根元から手の届く範囲まで塗っていた。

ところがマンデラが起きて、コンクリート製の電柱に全部変わったのに、その電柱の手の届く範囲まで同じように白で塗っている。

なんで塗っているのかなって聞いても、塗っている本人方もわからない。

「そういうデザインなんじゃない?キレイだし」って感じ。

目的は木の腐食剤だったはずが、今は「塗ると町全体がきれいだからね」って話に変わっちゃった。

この話なんかおかしな話だよね。

前の習慣がそのまま変化後にも受け継がれちゃって、理屈が成り立たないから。

デザインだから、きれいだからって訳分からない。

ここがマンデラになった証拠じゃないかって思う。

思考で物事が変わっちゃうから、やむをえない事だと思う。

パラグアイの木の電柱からコンクリートになったっていうのは、これは住んでみたらよくわかるんだよ。

以前はよく木製の電信柱が風や大雨で倒れていた。

そのたびに停電が起きていた。

下手すれば3日、4日電気が繋がらない。

冷蔵庫、冷凍庫の中身が腐って入れ替え。

暑い国では一般家庭でも大型冷凍庫を持って、たくさん肉や魚などを冷凍するから、大損害だよね。特に肉だからあとが大変で臭いするし。

だから、多くの地元民にとっては電信柱がコンクリートだったらいいのにねって思考になるはず。

だからコンクリートになりましたってことだと思う。

だから、ビルを建てました。

だから、駅を作りました。

本当に自分も建築業をやってきた人間だが、作るって本当に作っているんだろうか?って思う。

自分たちは建物を作るふりをしていたのかもしれないな。

もっと引き延ばしていくと、自分たちは食べているふりをしているんじゃないかと。

だから、人間は霞を食べて生きられるんじゃないかね。

あり得るかもしれないね。そうなると。

世の中本当に不思議ですよね。

楽しい楽しい。