【タブー記事】南米パラグアイ日系人社会の深い闇7選

【タブー記事*閲覧注意】

南米パラグアイへ移住したマリです!

当たり障りのない良いことばかりを記事にしたがる人が多いですが、ほんとのところ、誰も記事にしたがらないから、あえて書こうと思います。

耳障りの良い、読者受けの良いことばかりは書きません。

ありのまま、事実を書きます。

そして、これから書く内容は、旦那いわくパラグアイの田舎に限ったことではなく、日本の田舎もこういうところが多いとのことです。

最初に書いておきますが、パラグアイに住む日系人すべての人たちがこういう性質を持っているとは限りません。

日系人を差別するわけではありません。

中には、親切で新しい考え方を持ち、好奇心旺盛な日系人もたくさんいて、力になってくれる日系人もたくさんいます。

それに、南米の地・未開の地を開拓していってくれた、日本から移住してきた第一世の方々には、もう亡くなられている人も多いですが、その人たちの苦労のお陰で、私たちが移住してこれるのだと、いつも感謝しています。

どうか誤解のないように。

ですが、南米パラグアイの最初の日系人移住地となった田舎町ラ・コルメナ、この地で私たちが実際に体験したこと、感じたことをそのまま書きます。

他の日系人移住地で聞いたことなども織り交ぜながら・・・

50年ぶりに日本から直接移住してくる日本人がくる!

それも、現地で子供を産んでくれる!減る一方の日本人がこれで増える!

となると、現地のみんなはさぞありがたがるだろう・・・と勝手に想像していたが、それは大間違いだった。

実際には、会長も誰も我が家へは一切寄り付きません。

1【パラグアイ人は挨拶してくれるけれど、日系人はほとんど挨拶の返事をしてくれない】

街中で、日系人とすれ違って「こんにちは!」と挨拶すると、目が合っていたにも関わらず、あさっての方向を向いて逃げていく。

・・・はい。完全無視ですね。

それも、1人2人だけかと思っていたら、来る日も来る日も街中で会う日系人は挨拶を返してくれない。

私を見る目は「なんでこんなところに来たの?」という変な目。

私は始めての体験でしたが、「日本の田舎でも同じだよ」と旦那。

たまに、話しかけてくる日系人もいるが、みんなの決まり文句は「日本の方がいいのに、なんでこんなところに来たの?」と。

「どうせ音をあげてすぐに日本へ帰るだろう」という噂も広められたが、3年目を過ぎたあたりから、一切言われなくなってきた。

2【みんなと同じことをしろ!目立つな!の精神】

今となってみれば、目立たなければ良かったな、でも気づいた頃にはもう遅かった。

私は移住当初なるべく日系人やパラグアイ人と仲良くしたくて、馴染めるように相当努力した。

スペイン語の勉強に手っ取り早いのは、やはり現地の人たちとの会話。

会話をするきっかけにちょうどいいと考えたのが、旦那が無農薬・無化学肥料で作った自然栽培の野菜たちの販売を、私と娘ですること。

幼い娘を連れて、レタスを籠に入れ、訪問販売するのだ。(籠に商品を入れて売るのはパラグアイでは普通です。しかし、現地の人は籠売り=貧乏人と、自分よりも格下に見る傾向があります)

レタスって野菜の中でも安くて、1束日本円で40円。平均すると一回訪問販売して400円くらいにしかなりません。

物価は日本とかわらないか、高いくらいなので、はっきりいって、はした金ですよ。

貧乏人だとか散々言われながら、なぜ続けたのかというと、スペイン語や現地の人たちの考え方の勉強の為です。

移住当初から4年間くらいは、早朝に起きて、旦那が野菜を収穫し、私と娘が朝早くから街中で売り歩くというのを続けました。

日本から来た日本人ともなればただでさえ珍しいのに(移住当初は私たち以外に50年間この移住地へ、誰も日本から直接移住した日本人はいませんでした)、幼い娘を連れて歩くと、もう有名人に。

私は相手のことを覚えていなくても、というか知らなくても、相手はみんな「あ、あのレタス売りの日本人ね」と、知っている。

そんな目立つ移住者に対して、当然たたいてくる人もいる。

その表れはワクチンの一件↓

海外で人生初めての裁判事件!?パラグアイ人から訴えられた私。

娘がワクチンを打ったあと、ものすごい副作用が生じて、死ぬか生きるかをやった。

副作用が出ていた約半年間、地獄の日々だった。

「そんな大変な副作用の体験をしているから、もうこれ以上は打てない」と伝えても、ワクチンを広める仕事をする看護師が各家を訪ねまわり、我が家へも何度も来て、「ワクチンはみんなしてるんだから、あなたもしなさい。副作用で死んだなんて聞いたことない(実際には、パラグアイでもワクチン接種後に亡くなっている子供はいます。その事実を知っているパラグアイ人のお母さんたちは、我が子へのワクチン接種は一切拒否している人も多いと、地元のパラグアイ人から聞きます)」と伝導して歩く。

もはや一種の宗教だ。

それも、日本語を話せる人を連れてきたほうが良いだろう、と考えたみたいで、日系人を連れた看護師がやってくる。

うちへ来る日系人は何度も副作用の話をしても、全く理解できず、話になりません。

3【コンプレックスの塊の人が多い】

特に、日本で産まれた日本人がやってくると、すごく引け目を感じ、劣等感を感じている人が多いです。

「あの、すごい?日本からやってきたんだ。」と。

「そんなに日本が良いのなら、日本へ行って住めばいいじゃない!」と思うのですが、そんな勇気もない。

だから、表立って何かを言うのではなく、陰で永遠とグチグチと言い合っています。

4【羨ましい・妬みの心がすごい】

2番【みんなと同じことをしろ!目立つな!の精神】と3番【コンプレックスの塊の人が多い】に通じるものがありますが、とにかく、日系人同士の足の引っ張り合い、意地悪のし合い、人の不幸を喜び合い、親戚同士でも喧嘩しあっている。

例えばマッサージの資格を持ってマッサージを仕事にしているのかどうか、日系人同士で、「あいつは資格を持っていない!」と、足の引っ張り合いをしているのをよく耳にします。

そして、それは、学校へ通う子供たちへまでも影響し、どこの家かによって格差がつけられ、子供同士でも確執が生まれている。

数少ない日系人・日本人同士、協力し合って仲良くいきましょうよ!と、移住当初は思っていましたが、そんなことはもはや不可能だということが良く分かりました。

5【日系人の学力レベルが下がってきて、今はパラグアイ人の方が上だ】

と、地元の日系人が自ら言っていました。

結構日系人がパラグアイ人から馬鹿にされているみたいです。

昔は、日系人は一目を置かれていたそうですが、今は逆になってきているようで、旦那は「なさけねぇなー」とつぶやいていました。

6【泥棒は日系人の家を狙う】

昔は同じ仲間の日系人の家に泥棒が入ったことが分かり「あいつだ!」と分かったら、何十人と銃を持ってみんなで山狩りによく行ったものだよ、と昔の時代を知っている人から聞きました。

それに、昔の独裁時代の方が、すごく安全で女性一人で夜中歩いても大丈夫だった。今の民主主義よりも昔の方がよかった、と誰に聞いても同じ事を言います。

やられたら、やりかえす!

力でしか分からない人には力を示す。

犬と同じ。

独裁時代は日系人に対して手を出したら、国自体も国民に重い制裁を加えていた時代。

それのお陰で、日系人は守られていました。

1986年、南米パラグアイも独裁主義から民主主義(と言う名の実態は平等ではない右向け右の共産主義)へと変わり、夜の外出はどこでも危なくなってきた。

日系人や日本人も時代とともに変わってきて、徐々に大人しい民族へと変貌。

本来の日本人って、旦那いわく「大人しい民族・日本人」ではないとのこと。

本来の日本人は気性が荒く、全然大人しくないと。

だから、今の日本人は混血ばかりだ、と言っていました。

ここの移住地の今の日系人の多くは、「やられたら、抵抗したらいけない」と口をそろえて言います。

それは、麻薬をやって気がおかしくなった人とか、最初に銃で撃ってくるから、だそうです。

だから、抵抗しないで、体が大事だから、金目のものを持っていかせな!という感じです。

そのため、日系人の家に頻繁に侵入するパラグアイ人が後をたちません。

でも、私たちのスタンスは、「犬HKをぶっ壊す!」

・・・じゃなかった

相手をぶっつぶす!という気構えで住んでいます。

やられたら、やりかかえす勢いでいかないと、完全になめられ、永遠に悪循環が続きます。

今の地球はもはや国も人も一切信用できず、信用できるのは家族・もしくは自分自身だけとなりました。

7【一発屋として移住してきた人も結構いる】

一発屋って?

とにかく一山当ててやろう、とか。

日本じゃ食っていけないから、海外移住すれば金になる!

と思って、その昔移住してきた人も中にはいるようです。

「やまし」ですね。

私も旦那も金のことしか頭にない「やまし」は大嫌いです。

そんな人たちとも会ったことがあります。

金儲けの話ばかりで、私がついぞ我慢ができなくなって「いい加減にしろよ!さっきから聞いてりゃあ、金儲けの話ばっかりで、つまんねぇよ!」

と、お酒が入った席でジジイどもに怒鳴りまくりましたとさ。

日本からの移住組は、日本語が話せる日系人だからと完全に信頼してしまい、詐欺やお金を巻き上げられている人、トラブルになっている人も見かけるので、人をよく見て誰と付き合うか判断しましょう。

これは世界中どこでも一緒で、当然日系人に限ったことではないですが。

日本の裏側に来ると、日本語が話せる人が数少ないので、最初は感動してつい信頼してしまう人も少なくありません。

最後に

最後に書くと、移住当初、農業やいろいろなことを無償で手伝うということで、日系人の家に滞在することが決まり、移住して、その人の家を自費で旦那と2人でペンキやモルタルなど材料を大量購入して、修繕し終わった1ヶ月後、突然「何で俺の悪口を言った?」と意味不明なことを言い出し、「出て行け!」と追い出されました。

それも、私が臨月に入った頃の話。

お腹に赤ちゃんがいて、莫大な自費で家を修繕し、修繕し終わったころを見計らって、臨月入った妊婦を普通追い出しますか!?!?

そんなキチガイ日系人もいます。

翌日、歩いて1時間かけて町まで行き、借家を探し回り、見つけて即引越し、さらに作りかけの家だったので、自分たちで作りながら、もうすぐ産まれそうな赤ちゃんのために、急いでベッドを作り、臨月の赤ちゃんを抱えた引越し作業は、半端なく大変でした。

出産予定日の2週間前に一応、首都にある病院のそばに宿泊し、待機していました。

日本にいるときも、波乱万丈だったけれど、パラグアイに来てからも波乱万丈ですね。

まぁ、私は変わり者だし、好きでここに移住してきたんだけれど。

恐らくタブーな記事だと思われますが、私が移住してからの5年間で感じて、攻撃もされてきたことをありのまま書きました。

この記事に賛成も反対もないでしょう?あるのは、実体験だけ。

嫌な思いをたくさんしてまで、どうして住み続けているのか?

ここの町がほかの町と違う点は、日系人移住地なので、日本人に慣れているパラグアイ人がたくさん住んでいることでしょうか。

日系人移住地でも、パラグアイ人の方が圧倒的に数が多い。

ここの日本語学校は、生徒数が少なすぎて、存続の危機にさらされているのだとか。(日本語学校に通わせても、授業のレベルが低すぎて、日本語を普段から話せる子供は通っても意味ないんですって!学校側がそう申しているみたいです。)

存続の危機にさらされても、私たちの子供たちは一切この学校に勧誘されませんし、学校関係の人は誰も訪ねてきません。

まぁ、通わせる気もないので、いいんですけれど。

はやく世の中みんなが真実に気づき、平和で幸せな時代がきますように☆と願うだけです。

何よりも宝である地球の子供たちを守りたい。

大人なんてくたばろうがなにしようがどうでもいい!大切なのは子供たちだ!(旦那の口癖)

世界中どこへ行っても同じですが、この真実をよく読んでから移住されてきてください。