移住した私たちの挑戦☆どうやって食べていこうか?

*【南米パラグアイ】生活情報*

私たちが移住してから、どんな仕事をしてきたかご紹介したいと思います。

無農薬栽培の野菜づくり

移住してから、食べていく方法の一つとして、私たちは無農薬農業を始めてみました。厳密には、化学肥料、動物性肥料、農薬をかけない自然農栽培です。ここでは日系人やパラグアイ人も普通の慣行農業をやっています。私たちは新しい移住者なので、同じものを同じように作って、同じように販売するというのでは、何も進歩がない!それではいけないのでは?と考えています。

地元の人はどんな農業をしているのか?

日系人は各移住地で農協に加入し、作物を農協のトラックへ積んで(ここではピーマンとトマトが主流)もらい都会のアスンシオンへ卸しています。パラグアイ人でも加入している人がいますが、加入していない人がほとんどで、大量に作った玉ねぎなどは大型トラックを持っている人が集めてアスンシオンへ持って行ったりしています。

無農薬農業の認知度。

世界に知られており、経済的にも引けをとらない、一流の国である日本から私たちは来た、というふうに思っています。そのため、私たちはまだパラグアイでは広がっていない無農薬農業をやってみたらどうだろうか、と思って始めることにしました。無農薬の農業については、戦前に入植したラ・コルメナではあまり知られておらず、他の移住地は戦後のわりと新しい移住者が多いので、比較的新しい感覚で、出荷するものには農薬をかけるけれど、自宅で食べるものには農薬をかけないで作ろう、という意識でやっています。

他の移住地では無農薬農業をわりと理解している方だと思います。例えば、都市部アスンシオンでみてみると、高級と言われているスーパーに、健康食品などがならんでいるコーナーがもうけられているレベルなのです。無農薬栽培の認識がどの程度あるのか、アスンシオンの一般人に聞いてみると、無農薬自体がなんだか分からない「農薬をかけないと虫に食われるのでは?」「虫に食われるものはダメでしょう」と言います。日本の一昔前の感覚と同じ感じです。

アスンシオンで週1回、デパートの駐車場を借りて、無農薬野菜を売っているよ、と紹介され行ってみました。しかし、完全無農薬の野菜は見当たらず、減農薬の野菜が主だったようです。また、自然農についての認知度は全くありませんでした。

何をしようか。。。

私たちはラ・コルメナで、生きていくためにお金が少し要るので、「さぁ、何をしようか」と考えたとき、まずスペイン語が出来ないので、働けません。また田舎の勤めるところというと、お店のお手伝いさん、家の掃除や料理を作る人、日系人の畑を手伝う人としてつかってもらうか、日本語学校の先生くらいのものです。

あとは自分で考えてお金を作るしかありません。よく言われるのはお店をやったらどう?日本食料理屋をやったらどう?という話がありました。お金を持っているパラグアイ人が「日本食堂をやりたい!私が店舗や鍋などを用意するから、やらないか?」と誘われました。移住して2年目のパラグアイで何も分からないので、断りました。今から考えると断って正解だったなぁ、と思いました。ここの人は思いついたらすぐにやろう!食堂、喫茶店、雑貨屋、服屋、飲み屋とか、、、新しいお店が出来た!と、しばらく観察していると1年もたたないで閉まっている、という光景をあちらこちらで見かけます。人口の割にはお店の数が上回っている感じで、上手くいっているところはごくわずかです。なぜかというと、ここの人は新しい物好きではないということが分かりました。今までの慣習はなかなか変えようとしません。例えば、暑いときも寒いときもマテ茶を飲み、コーヒーは飲みません。ちなみにブラジルへ行くと、さすがにコーヒーが主流の国でしたよ。ここの町のコーヒーを出している食堂で、飲んでいる姿を見るのは、ドイツ人くらいです。スーパーへ行って、1メーカーだけ美味しいのがあったけれど、あとは美味しいコーヒーが見当たりません。都市部の街のコーヒーショップの店頭で売っている高いコーヒーはさすがに美味しかったです。

また、南米と言えばチョコレートだろう!と思って楽しみにしていたら、チョコレートが高い!日本でいえば、120円くらいで買えるものが、250円くらいかかります。そして、日本のチョコレートの方が美味しく感じました。驚きです!日本のチョコレート、コーヒーってピンからキリまであって、まずいと感じたものってめったにありませんよね。

家の前で路地販売してみる。

さて、話をもどすと、私たちはまず無農薬で野菜をつくって売ってみようということにしました。パラグアイ人はそういうことを言いませんが、日系人からは「野菜をつくるんじゃ、食べていけないよ」と耳にたこが出来るくらい言われ続けました。でも、その言葉を気にせず、旦那が作る野菜が徐々に出来始めて、最初は家の軒先に手作りの野菜台を置いて、4ヶ月くらいの娘をおんぶしながら販売しました。野菜台は旦那が木で作ったのですが、パラグアイでは木がとても貴重で高いです。日本のような感覚で手に入れようとしても手に入りません。木材屋さんはありますが、板を探してみてみると、チェーンソーで板状に切ってあって、それがずらっと並び干しているみたいです。建物の中を見るといろいろな機械が置いてあって、チェーンソーで大まかに切ったものを、さらに製材する機械や細かいものを切る機械が揃っているようでした。昔のパラグアイはどこも森林だらけだったようですが、現代では伐採してお金にかえたためとても少ないです。南米と言えば森だと思っていましたが、昔から変わらない森があるのは保護区くらいでしょうか。すこし残念に思います。

旦那が木材で野菜台をつくってくれて売り始めました。野菜の主流はレタス。しかも、パラグアイで良く売られているのは玉レタスではなくサニーレタスです。玉レタスはその年によって巻いてくれたり巻いてくれなかったりして、よくできません。サニーレタスは肥料も要らず、苗をつくって地に植えて水だけやっていればできます。その他にほうれん草、豆など、日本から持ってきたものをいろいろと作って売ってみました。午前中だけ野菜台に並べておくと、私たちはひそかに日系人が来ると思っていたら全く来ず、パラグアイ人がちょこちょこと来てくれました。ただ、お店をやっても売り上げがいまいちで、1日100円の日もざらでした。しばらくやっていましたが、これじゃあ食べていけません。

かご売りに挑戦!

最近は息子をおんぶして、ベビーカーに野菜かごを載せて販売中。

どうしようか。街を見ていると、パラグアイ人がかごに野菜を入れて持ち歩き売っています。他にはかごの中にお菓子やチーパ、洗剤、石鹸、果物、小物など、いろいろなものを入れて、直接家やお店へ訪問して販売します。夫婦で考えて「よし!私たちもかご売りをやってみよう!」ということになり、竹かごを買って、娘をおんぶして売り始めました。ところが移住したばかりでスペイン語が出来ず(英語圏だったらカナダへホームスティしたことあるので、大丈夫だったのですが、、、)、スペイン語に耳も慣れておらず、そのときの語学力はHOLA!くらいです。笑。こんにちは、誰でもすぐに覚えられます。まず数字を覚えないといけないですよね。最初は1000とか2000とか(こちらのお金の桁はとても高いです)言われても分からなかったです。お店をやっていると子供たちがたくさんお店の横で遊んでいて、そんなお客さんとのやりとりをみて、この日本のおばちゃんは言葉が分からないんだな、と見かねたのでしょう。突然、「これ何て言うかわかる?」と言い出し、子供たちから遊びながらスペイン語を学びました。あの時の子供たちは助かりましたよ。私たち夫婦の会話は日本語だけで、他に誰かと会話するといっても誰もいない中、近所の子供たちが一生懸命絡んできてくれて、一種の遊びの感じでスペイン語を学びました。

移住をしてきましたが、そんな感じでスペイン語が全く分かりませんでした。でもこの野菜がもったいないし行くしかないということで、かごを買って、同じようにレタスや野菜を入れ、おんぶして売りに行きました。ちなみに、日本人でかご売りをしている人は誰もいません。かご売り=貧乏人と思っていて下に見ているようで、その概念を崩したい気持ちもあって歩きました。まずは「Hola!」相手が出てきたそこからが問題です。何を言ってる分かりません。困ったなぁ。(いまから考えると、どこに住んでるの?とか、赤ちゃんは何ヶ月なの?とか世間話だったと思います)「lechuga(レタス)なんだけど、、、」lechugaは覚えました。「Cuant cuesta?値段はいくら?」と聞かれます。子供たちに言われながら耳に入ってきたので多分値段だな、と分かりました。「これは2000グアラニーだよ。これは3000だよ。」とあちらこちらを歩きました。

お店に置くよりも意外とかご売りが売れる驚き!

お店や家を訪ね歩いたら、みんな買ってくれました。それまで、お店で並べていたものは3,4個レタスが売れたらいいかなぁ、という程度だったのが、初めて周ったら1時間で10個以上一気に売れました。帰ってきて、「結構売れるよ」ということになって、当時の畑は自宅から離れていたので旦那にバイクで採りに行ってもらいました。その後も何回かは足りないから追加で採ってきてもらうくらい、最初は良く売れました。「これでなんとか食べていけるかなぁ」と会話をしながら野菜を作ってかご売りをしていました。だいたい帰りはかごを空にして帰ってきます。それが1年2年経つうちに、他の人たちもレタス売りを始めるようになってきました。最初は1組か2組くらい見かけていました。あとは薬草売りくらい、そんなにレタスをかごに入れて売っている人がいないんだなぁと思って売っていました。

ライバル続出!?パラグアイ人はまねをしてくれる素直な人たち。

それが2年目くらいからがすごくなったのです。私のライバルみたいなのがいっぱいでてきました。当時子供をおんぶして歩いていましたが、同じように幼い子供を連れてかごを持って歩いているパラグアイ人を見かけます。「こんにちは」と言いつつかごの中身をみてみると、レタスとか人参などいろいろな自分の家で採れたような野菜を売って歩いています。その頃から売り上げが減っていきます。でも「これでよかったんだよね。こういうふうに自分のところの野菜を地元で売るって良いことだよね。地産地消、いつもアスンシオンなどの大都会へお金が流れていったのが、この町の中でお金がまわることになるし、ここは田舎だからなんとか食べていけるしよかったね。」「そうだね。」と言っていました。しかし、内心は「ライバルが増えると困ったなぁ。」でした。

良い場所を借りて、八百屋さんをやってみよう(八百屋さんって来た当初はなかったのです。お店の一角にちょこっと野菜も一緒に売るという程度でした)とも考えたこともありました。2年目のライバルが増えてきた頃、「野菜売りでは食べていけないよ」というのが常識だったのが、ちまたでは「野菜が儲かるらしい」という噂になってきました。笑。日本から来た日本人のやることをパラグアイ人はじっと見ていて、まねをしてくれるようになったようです。また、日本人がやるんだから、儲かるに違いないと思ったみたいです。ラ・コルメナの町ではなかった八百屋さんが数件できてきて、いきなり消えていく店もありましたが、今では中心の公園前にある八百屋さんが一番成功している方かなと見ています。いつ見てもお客さんが入っているみたいですし、品数も増えているようです。車で卸に来る地元の野菜を買っているみただし、地産地消、大成功のようです。私たちは今では作物の量が多いときは、この八百屋へ売りに行きます。

そうやって私たちが来ることによって、この小さな町に影響を及ぼしていってるんだなぁと感じながら過ごしています。人一人で何が出来る?と思われがちですが、たった一人の人間がやることって結構影響を与えられる、それも海外だと外国人は目立つからみんな見ているんですね。お隣のボリビアでは、昔はお米を食べる習慣がなかったけれど、日本人が移住してきて今ではボリビア人も普通にお米を食べる習慣になったそうですよ。やっぱりよそ者が変えていくんですね。

次はなにをしようか?

さて、次に宿をやろうかということになっていきます。宿も始めたけれど、観光地ではないしコアなバックパッカーや移住を考えている日本人が来るくらいで、そんなに人が来ません。あと、かき氷屋も考えました。アメリカにいるお客さんがかき氷の旗を持ってきてくれて、看板に張って名前もそのままで今も売っています。近所の子供たちがちょこちょこ買いに来てくれてイチゴ味が一番人気です。それから、もうちょっと安定する仕事ないかな、ということで旦那が始めようとしたのは建築の仕事です。雨漏り修理が得意で、修理に一回行って5万グアラニー(1000円ほど)から10万グアラニーくらいで、一頭からとれるひれ肉をまるごと買える値段です。ちょっとした雨漏りや天井が壊れた修理など、主に屋根関係の仕事が多いです。それを何軒かやったけれど、どうも日系人が新しい移住者に対して警戒心が強くてそれ以上伸びません。無理して営業までしてはやりたくないので、そちらの方の仕事は一段落ついています。

電気系が得意な人は田舎で重宝されます。

その時に言われたのは「電気関係の仕事は出来ない?」旦那は「電気関係は弱いんだ」と言ったら、「この街は電圧が一定でないし、停電も多いから電気系がすぐイカれる。コンセントが壊れたり、ショートしたり、いろいろあるんだよ。だから電気系が分かって修理できる人がいたら、日本人は特に信用があるので、食べていけるよ。」とのこと。でも旦那は電気系は弱いので断念しました。また、草刈り機、洗濯機、冷蔵庫などを直せたら、需要が多いようです。それにバイクも。パラグアイではベトナムとかアジアと同様にバイク人口が多いです。ちっちゃいバイクに親子の4人乗りは普通で初めて見たときは「すっごーい」って思いましたよ。バイクや車の修理が出来ると繁盛しているみたいです。ちなみに自転車の修理屋さんは少なくて私が知っているところで街中では1件だけでした。みんなバイクで走るみたいです。そんなことをやりながら現在に至っているわけですが、この生活で大都市のアスンシオンでそのまま食べていけるかと聞かれると、食べていけません。アスンシオンの家賃は東京並で6万から10万円、ひとり住まいで最低でも5から6万円はすると言われました。生活費も、田舎のここだと月4万円ほどですが、都会になると、20万円から30万円はないと食べていけないようです。

最後に☆

移住すると、新しい移住者は何をやるのか、ここでは特に観察されます。何か新しい風を吹かすことができるのは、やっぱり移住者たちなのではないでしょうか。地元の人たちと同じことをやってはいけないと思ってやっています。私の活動はJICAに属していませんが、地域振興に大いに役立っていると実感しています。誰も褒めてはくれませんので、自分で自分を褒めることにしましたよ♪