ふくろうです。
結構究極な話になっていきます。
そして、話が脱線することもあるが、色んな話を交えながら言います。
今までの歴史というのは時間を軸に考えてきた。
でも、これからの歴史学において大切なことは、マンデラ考察をいれていかなければいけないということだ。
すなわち、全く違う世界での出来事の名残がある。
だから歴史の説明がつかない。
例えば、ピラミッドにしろ、日本でいえば古墳時代、こういうものははっきり言って世界の謎なわけだ。
なぜあるのか。
これがマンデラ考察を取り入れる事によって、説明がつくのではないだろうか。
俺はこれからはマンデラ考察を取り入れた歴史学でないと、本当の歴史は見えてこないと提唱する。
その些細な事で面白いのが食文化にある。
歴史をずっと読んでいて面白いのが、食文化の歴史をたどることが出来る。
その時に、矛盾が出てくるんだよね。
そして、穀物を食べる民族と野菜中心の民族、肉中心の民族の3派が歴史上であるんだよね。
ここが歴史を紐解くもう1個のポイントであると思う。
還暦過ぎてから、自分なりの考察で歴史の方にいってみようかな。
今まで歴史学者が「資料を元に」って言っているが、マンデラーにとっては「資料がどんどん変わっていくんだから、資料はあてにならない」
オーストラリアの事を考えると、どうやったって今までの歴史が通用しないよ。
あれだけくっついていたらマンデラ前では「オーストラリア大陸を発見した」って習うが、インドネシアに行ったら発見どころか「向かいにオーストラリアあるよ」って話だよね。
俺の世界だと「オーストラリア大陸は発見された」って話になっているが、今のオーストラリアは発見ではないよね。
ほーら、ここでもおかしいよね。
栄養学にしても何にしても同じじゃないかな。
勉強したら同じになるが、その勉強が間違っていたら間違った学問になっていく。
だからこれからは数学得意な人は「ちょっと待ってよ」って考えないと。
栄養学も同じだよね。
「こうやって教えられてきたから正しいんだ」っていうのは、一番最初の勉強が間違っていたらどうなるんだろうって考えようよもう一度。
俺は歴史をずっと勉強してきたから、これから再度検証に入る。
俺は世の中はマリの絵だと思っているんだけどね。
今まではくっきり色が分かれている絵が流行るが、これからは色が混じり合う方が流行ると思う。
例えば「コロナが」っていう話でも全く通じない人もいる。
片方はマスクなし、ワクチンなし、自粛反対!
片方は今日も何人感染者が出た、手洗い消毒マスク完璧、外出しない人。
他の世界の人が混じり合っているから、話が永遠にかみ合わない。
自分たちが世界線を動いているって言い方もあるが、俺的には「混じり合っている」と考える。
マリの絵は色々混じり合っているんだけれど、そんな世界ができあがっていくのかな。
そこに真実はないし、答えはない。
こういう絵というか色使いっていうか、魔法使いではなく色使いの人間がたくさん出てくるだろう。
なんで?
それは宇宙の一番最初の混とんが出てくる。
そこは最初薄い色がほわんとでてきた。
違う所、いろんなところから影響されるようにでてきた。
それは最初色が薄かった。
でも徐々に色がぶつかり合って濃くなって、極限の濃紺から黒になり、黒から…何になるんだろう?
黒から何かになった時にぽんというエネルギーとして出たんだと思う。
そういうイメージがでてきた。
そこに音はなかった。
エネルギー体ができるが、エネルギー体の次に何かを作り出すときに、色と音だった。
その時に初めて音が産まれた。
物を作る時は音が必要なんだ。
振動だろうな。
マリは最初の宇宙を表現したいのかもしれないなと思っている。
だから、徐々にこれから色が濃くなっていくのかなって注視していた。
次はどんな色になるのかなー。
みんなもこういうのを絵具を持ってきて描いてみたらいいのにな。
あるがまま書いてみると自分の世界のイメージができるんじゃないかな。
マリのその感覚はこの世に合わない感覚で産まれてきているから、絶対。
だから、小さい頃からではないような気がする。
途中からどっかの世界に行っちゃったような感じなんだろうな。
俺も「小学校一年生までは俺の性格も人生も違ったよ」って言うのは、6歳で最初の臨死体験になってから、裕福だった家庭がいきなり貧乏生活が始まる。
そこから異常な体験が始まる。
あの時に世界が変わっちゃったんだろうな。
移行しちゃったんだろう。
18歳で2回目の臨死体験をして、もう一度世界が入れ替わったんだなって思っている。
俺の世界は3回大きく変わったんだ。
俺の場合は死に目にあっているから分かりやすい。
でも、普通どこでどういう時に世界が変わったのかはなかなか分かりづらいものだ。
最後の締めくくりとしては、原点が違えばすべて変わってくるわけでね。
今、歴史を読んでいても何がどこまで正しいのか、本当の事実とはどこにあるのかって探っていっているが、どうなんだろう。
ほんとうに真実って、今の俺にはないとしか言いようがない。
だから、自分なりに歴史を楽しんで味わっている。
それしか方法がないわけだ。
真実が分からないから。
これから、皆がやるべきこと、想うべきことっていうのは、答えを知っているのは自分自身にしかないんだっていうことを認識すべきなのではないのかな。
マスメディアで言っている事、人が言っているから正しいんだ。
安部がいい例じゃないの?
嘘八百で日本の歴史をどんどん改ざんしているわけで。
NHKみても嘘八百よくここまで言えるなってことを平然として言っている。
中にはそれをまともに信じている人もいるだろうけれど、結構大勢の人たちが違和感持っているはず。
それを大切にしてほしいな。
違和感をもったままがダメなんじゃなく、違和感を持ったまま進んでいくっていうのが今の時代はいい事なんじゃないかな。
じゃ、自分で答えを出そうということになるでしょう?
人は答えなんて持っていないんだってことだよ。
世の中には答えはないんだってことで、答えは自分が出せばいいんだ。

