パラグアイ人から学ぶ大切なこと「共生」その1

*パラグアイの移住生活*

今回は現代日本に欠けている「共生」をテーマに書いていきたいと思います!

パラグアイ人は道を歩いていると人の顔をじーっと見ます。じーっとみるし、目が合うとあいさつしてくれます。海外で同じ民族である日本人と出会っても、知らない人だからなのか、悲しいかな目が合ってもあいさつをしてくれません。「あれ、きっと韓国人だったんだよ!」とか「中国人だったんだよ!」と認めたくない私はそう言うようにしていますが、日本語を話しているのを聞いてしまいました。

沖縄以外の日本ではあいさつをする習慣がないのか、外国に来て「あ、日本人だ」と思ってもほとんどの日本人はあいさつをしてくれません。これはちょっと寂しいかな、と思います。その点、パラグアイ人などの南米の人たちは陽気にあいさつしますね。沖縄も同じくあいさつしてくれて、南国の暖かい地方の人はそういう陽気なところがあるようで、初めて会った人でも、人のことをあまり疑らないというか、誰とでも触れ合うというか、そういうところがあります。

南米は昔、スペインが南米を支配したのだけれども、アメリカ大陸や、オーストラリア大陸もみんな昔はこういう感じだったのでは、と思います。住んでいる人は朗らかで、まったく知らない人でもこんにちはという性質をもっていた。文明人がこれをいいように利用した。これは暗い歴史です。

その根本は「自分の所有物」という考えがない。物に対しても人に対しても、みな「共有」だから、「赤の他人だ」という考え方もしない。血のつながりがない子でも育てるし、そういう面では日本の昔はわりかし、貧乏人がお金持ちに子供をあげてしまうということがあった。

子供を人にあげるのは、子だくさんだから口減らしのため、という日本では暗いイメージがありますよね。パラグアイにきて分かったことは「かわいい子供だね、うちにくれない?」とうちの娘はよく言われていて、恐らく今子供を育てられる環境にあるからくれない?純粋にかわいいと思うからくれない?というパラグアイのこういう感覚と、日本の昔の感覚と同じだったのではと思う。

私は今、還暦の年齢だが、小さいころ跡取りの養子として「私をくれないか?」という話があったみたいです。それは今誰でも知っているとある有名企業の跡取りのために欲しいと言われたようですが、未だに私は「あの時、養子に行っていればよかったかな。そうすれば今頃、有名企業の会長さんになっていたはず。」と冗談半分で言っています。こんな感じで、日本ではお金持ちが貧乏人の家の子供が欲しい、もしくは跡取りのために子供をくれ、という。

パラグアイに来てから、養子縁組に対する考え方が変わりました。「あんたのところ大変でしょう?うちにちょうだいよ。」と言い、「子供はみんなの宝」という感覚が昔の日本にもあったんじゃないかと思う。それが現代の教育において、核家族化が進み、少子化になっていって、どこの家庭も子供が7、8人とか多かったのが、今は多くても3人が普通になった。一人っ子ふたりっ子が多くなってきて、兄弟が少なくなってきた。兄弟が少ないから、「ちょうだい」とは言わなくなっていったんだ思う。

そこから考えていくと、「我が子というのは腹を痛めたのだからかわいいものだ」当然そうだけど、自分たちには理解できない感覚なのだけれど、「自分の子も人の子も関係ない」と思えるのは精神レベルが高いのではと思う。「我が子~我が子~」と自分の子供だけを考えている私たちの方が精神レベルが低い気がする。パラグアイ人の方が人間本来の生き方なのではと思う。「みんなで共生していこう!ともに生きていこう!」という精神がここにはまだあるのでは?日本ではそれがすでに失われてしまったのではと思う。

災害が日本で起こったときに「日本は素晴らしい。ボランティアでこんなことをやっている。」とほめたたえるニュースを流すけれど、パラグアイだったら助け合うのは当たり前です。日本ではボランティアの人が支援物資を買って持っていく、がれきの撤去や清掃を手伝いに、みんな個人で助けにいきます。主に一般国民が自費でボランティアをする。だけど、お金持ちや国は動いていましたかね?

シンガーソングライターや演歌歌手などが被災地へ来て、「さぁ、みんなで頑張りましょう」という光景をよくテレビで流しています。思うのだけれど、ああいった災害にあったときに「頑張りましょう」と言われても、被災者が一番欲しいのは現実的に金。みんな涙流して「よかったぁ」とやっているが、それがあまりにもしらじらしくみえる。当然そういう心のケアもしないといけないけれど。心のケア、精神面のケアだけをアピールしている日本国だと思いませんか。

日本だと災害にあったら精神面で助けないと、という感じですが、パラグアイに来たら、「愛より金だよ。」となる。そうだよ、食べるものも住む所もない、まずは金じゃないですか。日本国の金持ちはなぜ金を出さない?それをごまかすために、テレビで演歌歌手が被災地へ行き、みんなが泣いている、、、よかったよかったぁ、という場面ばかり流す。でも、私たちはだまされたくない。災害の時ははっきり言って愛より金だ。

日本よりパラグアイの方が災害のときに関しては上だと思う。こちらのお金持ちは金の使い方を知っている。しかし、今の日本や先進国のお金持ちは金の使い方を知らず、欲たかりに金をひたすらため込む傾向がみられる。でも、パラグアイの金持ちは金の使い方を知っていて、地域の貧乏人を助ける。おもちゃやお菓子、飲み物、プレゼントを用意して子供向けのパーティをひらいたり、着なくなった服は直接貧乏といわれる地域で配ったりしている。私たちものちのち、何かの形でこの地域の人たちを助けていきたいと思う。

「自分たちもろくに食べていけないのに、人に何をするんだ」という言い方をする人がいる。しかし、南米に来たら、私たちよりもっと究極にその日暮らししている人がたくさんいる。私たちの方がまだいいのではないか。。。お金持ちのお金の使い方をみていると、「生き金」として使っていて、私たちはとってもいい国に来たな、と感動しています。

なんか、今の日本人や日系人って見た目だけで、日本が良い国だと言っているが、私たちからしたら良い国だとは思えない。心がなくなってしまった国が何がいい国?だから日本から離れてパラグアイに来ている。災害の時はどうしても金が必要だけれど、衣食住が落ち着いてから、歌い手などが行って心のケアをゆっくりやるべきだと思う。生活が落ち着いていなくて金もないのに、心のケアばっかりしても偽善者だと思う。

日本の災害地はいまだに落ち着いていない。それだけ大規模の災害があったからとも言えますが、心のケアしようとする前に、金なんです。「なんで国は金を出さないんだ?」ともっと声を上げないと。。。パラグアイというところを見習いなさい。後進国を見習いなさい。自分たちのことは自分たちでやらないと、国はなにもしてくれない。

金のある人間は金のない人間を助けないと!いつまで日本人はタンス貯金しているんだ!そこまで成り下がってしまった日本!

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