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帰郷①の続きです
☆
ふくろうです。
星は我々が生んだ、ってことを考えると、太陽、地球、月だけは名前に星がつかない。
他は火星、水星など名前に星がつく。
宇宙がそれしかないからだよ。
あと星というのは我々が創ったものだ。
日に生れると書く。
さて、話は帰郷の続き。
流れ的には最初に意識があって、そこから袋が飛び出し、レムリアのエネルギー体ができた。
そこまで一本である。
そこである大きなグループができて、我々日本人の魂をつくった。
その魂体もまだ一つのエネルギーになっていたわけで、まだ三次元の状態ではない状態。
それもレムリアの袋から飛び出し、一つの世界を創っていった。
その時に、高次元体とか、五色人種とかを創っていく。
そして、自分で体を持つことによって、最初はみな共に生きようとした世界だった。
共に、みんな一緒だった。
だから、もう半魚人はいるわ、龍はいるわ、めちゃくちゃの世界。
それがだんだん時がたつにつれて、さらにグループで分かれていくわけだ。
そして、別れる時に地球を創る。
そこにいったん三次元みたいなものを作って、そこに五色人種を入れようと。
そこが「宇宙の元になるように」ということで、創っていく。
そして文明みたいなものが始まっていく。
まだその時には高次元体がいる。
ある程度進んだ時期に、高次元体の人たちが「レムリアの祈りみたいなもの、精神的なもので世界を創っていったらいい」というのに極度に反発し出した。
それは確かに「何万年も何十万年も平和でいいねー」って退屈で生きてられないんじゃない?
「それじゃあ何の進歩もないんじゃない?」ってことで、高次元体が科学ということでやっていく。
高次元体は論理的にものを考える。起承転結で結ぼうとする。
ところがレムリア系の最終的にはムーになるが、そっちの人たちは起承転結がないんだよね。
要するに最初の起がないわけ。
「なぜ?」っていうのを考えないようにした。
「あるがままがいいんじゃないか」と。だから起承転結がない。
そして、高次元体の者たちは「それは愚かだ」と考えた。
そして種族的に「我々よりも下なんじゃないか」と思うようになり、レムリア系から離れていく。
離れていく所はどこなんだというと、今みんなが勉強した宇宙の何だか星だとかいうところじゃない。
今我々のいる世界においては宇宙は存在しないんだよね。
じゃあ宇宙はどこにあるのか?
また違うところにある。
それをみんなは次元と呼んでいる。
でも、それすらも実は我々日本人の意識によって変わっていっているというのも高次元体は気づかない。
だから、最初の地球では日本人が世界を支配していた、っていうことになるんだろうね。
最初のうちは。
支配というよりも自分たちレムリアの考え方を教えていく状態。
我々が作った五色人種だから、その者たちに教育しないといけないわけだ。
だから、マヤとか黒人だとかの方に、独特な日本人が教えた教えが残るわけだよね。
決して畏怖させたわけではない。
神々にだ、っていう状態で教えたわけではない。
最初のうちはちゃんと教えていた。
でも自分たちは作られたものなんだって他の種族はみんな理解していたんだよね。
ある時それに猛反発して、高次元体が動き出すんだよね。
その時に高次元体が我々人間に介入してきたんだ。
そして、一番介入しやすい白系の人たちに介入してきたわけ。
それがアトランティス系になっていくんだ。
アトランティスの人たちってどっちかというと白系の人たち。
なぜ人間が五色なのかというと、世の中の作り方として、色で物を創っていくんだよね。
みんなその記憶が残っているのが絵画だよね。
絵画っていうのは色をさすことによってものになっていく。
物語もできていく。
まだ白黒の時点では、そこまでいかないのだけれど、そこに色をさすことによってできていく。
色をわざとに五色人種、人間自体に色をさすことによって、黒人は黒人の力、白人は白人の力、色でもって世の中をどんどん作っていった。
もういっちょ、芸術で残っているのは音楽だよね。
そこに音楽という波動をあてるんだね。
そうすると色が動き出して創り出していくんだね。
そういう仕組みみたいだ。
音と色で世の中を創っていく。
音は当てるものなのだ。
だから、地球のもともとのレムリア系の人たちって、自分で色と音を組み合わせてものを作っていったりしたから、そこに科学力って必要ないわけ。
なぜかというと、日本人自体の魂に想像できる力がある。
音と色を扱えるマジシャン。
でも高次元体の人たちってそれができない。
五色人種と同じように創ったから、力がないわけ。
日本人の色と音で物を創っていくのを、科学におきかえた。
「じゃあこれをこうやればああやれば」ってことで音と色の代わりになると。
でもレムリア系はそれができるから必要なかった。
それが何百万年も続いていく。
高次元体もついに挑戦してきたわけだ。
それがたぶんアトランティスの時だと思うよ。
その時にムーとアトランティスの戦いみたいなものだよね。
戦いっていうのは今の戦争みたいなものじゃなくて、どっち側が正しいのか?って話。
その時点で「日本人がもともと神々だった」っていうのが忘れられている時だった。
だから、ムーとアトランティス。
ムーは精神世界、アトランティスは科学、どっちが正しいんだ?って。
その時に、我々日本人の魂としては争いを起こしたくないから、一回破壊っていうか、9までいっちゃったのでいったん0に戻そうと。
その繰り返しをずっとしようとしていた。
それがたまたまアトランティスとムーの時に0に戻さないといけない時期になってきて、地球の再生が始まるんだよね。
要するに、もう一個の地球を作り出すんだよね。
今と同じ状態。
今ももう一個の地球を作り出そうとしているよね。
それが大地震があったっていう状態にしたんだろうね。
ここはちょっと定かではない。
大地震の状態にして、死んだというが死ぬわけではない。
そのまま地球の外側の輪の世界へ、そのときの大陸をまるごと移動していった。
だから、今もムーやアトランティスがあるんだよ。
「一度できたものは消滅しないんだ」ということを頭においておいたほうがいい。
だから、地球は土星の輪のように何重にもなっている。
それが9までくると破壊して、新たな地球ができてくる。
破壊するときに、それが消滅するのではなく移行する。
輪っかになる。
それを教えようとしたのが土星なんだろうね。
土星の環になっているのをみせて「地球もそうなんだよ」って教えようとしたんだろうね。
本来の地球の姿っていうのはどうなんだろう?
土星って外側に円の輪っかになっているよね。
あれの下半分を切っちゃえばいい。
下の部分はないんじゃなく、本当はあるんだけれど、ないんだよね。
ドーム型になっているって思った方がいいよ。
でも完全なるドームではなく、少し直線が入ったドーム型だろうなって。
その中に月と太陽を入れたんだね。
そして、その外側の部分にもう一層作って、星をちりばめたんだろうね。
それが本来の地球の姿。
その中心点は北極の穴だろうね。
南極は輪の外側の部分であって、南極自体はそれほどの力はもっていない。
むしろ、次元って言えば次元なんだろうけれど、その境目の役割が南極。
我々の本当の故郷に直結しているのが北極だろうと。
だからまた今地球の再生時期がきているんだけれども、それはどういう形でくるのかは、今のところは定かではないんだけれど。
ノアの洪水ではないだろうが、やろうとしているのは水かなって気はしているよ。
一時はそれも伸ばそうとした気配があるが、どうも今の状況をみると、そして、マンデラを感じている人が多く出た状況を考えると、どうも水の可能性はでてきたんじゃないかなーと。
これはあくまで俺自身の考えです。
これは自分の内側からはきてません。
だから、まだ決まってないんじゃないかなって思う。
俺たちはまだチャンスが残されているんだと思う。
そこでマンデラ現象を起こしたっていうか、その意識を変えだしたんだね。
意識が変わるとマンデラっていう状態でどんどん目覚めていくから。
マンデラ感じている人たちって波動が変わってきたから。
マンデラ感じている人は一人二人ではないってことだよね。
相当数の人間がマンデラを感じている。
感じていない人はマンデラ感じている人の傍にいると「波動が上がって、薄っすら感じだす」っていう人が多くなる。
実際うちに来たホーミーくん(記事→ホーミーくん)が最初はマンデラなんか分からなかったのだが、1か月滞在して帰る時、どうもマンデラ感じだした。
皆が忘れてはいけないのはそれを世界に向けて発信できる時が来た、ということだよね。
だから、マンデラを感じてない人たちにデモとかさせたいわけ。
行動させたいわけ。
マンデラ感じている人たちは思考で世の中を変えていこうということで、それこそ聖人になっていけばいいんだわ。
マンデラ組はむしろ聖人的なものの考え方をしていけばいいと思うよ。
穏やかにって。
前の記事で聖人反対のような感じで書いているが、それはマンデラの人向けに言っているのではない。
そこの部分ってマンデラ感じてない人に対して主に言っているということを分かってほしい。
もっとデモして、日本人立ち上がれ!ばかやろー!も以前に言ったが、それはマンデラ感を全然感じてない、波動の低い人たちに向けて、波動を上げて欲しくて言ったものだ。
波動上げるにはそういう風にやってほしくて言ったんだ。
SNSやブログでとっても難しいのは、2、3種類の人間が混在しているというところ。
マンデラの人たちしか読まないのならば、こんな荒々しい物の言い方しないんだよ。
みんな一律に分かるわけだから。
でも自分らが発信しているのは、マンデラが分からない人たち、不思議体験をした人たち、支配体制絶対と思っている人たち、悪もたくさんいるわけ。
その人たちに向けても同時に発信するのは難しいと思う。
ある人によれば「分からない人はほっとけばいい」と言うが、俺はそうは思わない。
俺は「悪にも伝わる表現がないだろうか」ということで、コメントしているつもりなんだけどね。
結論ではないけれども、今の状況は混とんとしている状態だ、っていう言葉があてはまるのかな。
もうちょっと現代風に言えば、そうだね、我々自体が迷走中。
どうしたらいいかなー?って最中なのかもね。我々の魂がね。
だからみんな精神的に不安に思うし、体調も悪くなるしっていうのは波長が上がったり下がったりしている状態だから、それはひとつの混とんとした状態の迷いだと思う。
だから、結論を出さないといけないと思った。
何よりもニューヨーク郊外にいる一青年。本当のサタンだ。
彼はこれをかたずをのんで見ているよね。
そして、彼がポイントになっていくだろうね。次の世界では。
NYのサタンと言われている好青年は次世代の、次の地球の主人公なんだよ。
たぶん我々はこういう風にプログラムしちゃったんだろうね。
今彼が二十歳ぐらいの若者なので、それにどう影響を与えるか、今影響を与える事が次の地球の姿になるわけだから、混とんとして迷いが始まっちゃったわけ。
どうしたらいいんだろうってそこの部分だよね。
次世代のサタンにどういう影響を与えたらいいんだろう?って。
だからみんな迷うんだよ。
これで分かったかな?
次の世代の主人公はサタンなんだ。
サタンはすごい力があるので、我々が100人束になっても敵うかな、っていうくらいの人。特別なんだ彼は。
だからこそ、次の地球の主人公になれるんだろうね。
だから何で今我々がマンデラ現象を味わって目覚めだしているのかっていうと、結論的に言えば、次のサタンに向けてどういう世界にしたらいいのか、どう伝えようか。だから迷うんだよ。
だからマンデラだったんだよ。
そして、多分マンデラ感じている人は一旦役目を終える人たちだと思うよ。たぶん。
それは北極の穴を通っていくのかもしれないし、それは分からんけど。
でも次なる使命をマンデラ組は担っているんだと思う。
平面がびろーんて伸び出すらしい。
今までは立体が平面になった。
俺はそのまま点になると以前に言ったが、予定変更始まったのかな?
横に伸びだした。
それはうねりだ。
外を創る。フラットアースで言うと南極みたなもの。外側の壁を作っている。
その中に意識が入って行く。
これが新たなる地球の作り方。
立体が平面になって点になっていくが、さらにそれが伸びだす。
そして、点になっていく。
点が伸びだして、外側をつくる。
それが地球のでき方。
その伸びているのが南極だった。
それが新しい地球。
だから今、再生が始まってきたんだ。新しい地球の誕生。
それにともなっていったら、天変地異は起きやすいぞ。
揺れるよな。
そしていろんなものが移動し出す。
それはなぜかっていうと、今までの面積よりも広がっていくから。
それが外側の輪になるから、広がっていく状態。
びろーんて伸びて、その分、物が移動して歩く。
大陸も移動する。

それは5次元なの?何次元なの?
それが次元なのかは分からない。
単純に0123456789、って宇宙プログラム(記事→宇宙プログラム)で言ったが、実はそんな簡単なものじゃない。
我々の意識は本当はもっと難しいから。
そこを良い世界にしようと、いろんなことを個人個人が想い出しているから、議論も始まるし、そこに高次元体も介入してはいけないはずだが、やばいので一生懸命介入している。
だから、あるがままなんだから、実は高次元体なんかは本来介入したらダメなはず。それが介入してくる。
我々は拒否したいんだろうが、それが今どうなっているのかっていうところだろうなと。
追記

マストドンSNS始まったとたん、言葉が荒いよね何で?
オタクに向けてやるのはそういうものだよ。
畑やるときに「おめーたちよ」って使えるか?
使えないよ。
畑やる人たちって心がきれいな人ばかり。だから穏やかな言葉しかでてこない。
マンデラで波長が上がっている人たちに、「お前たちなにやってるんだよ、ばかやろー!」って言えないんだよ。
波長上がって合わせるに本人たちは大変な状態で、内側の魂はものすごく動いている状態なのにできないよ。
そんな人たちに向けての言葉は綺麗な言葉。
でも、他のところでは汚い言葉になる。
例えば外国に来て、日本の話し方したってわからない。
日本を引きずってそのまま話しても分からない。
日本が特別なんだよ。だから、言葉も変わるんだぞ。
それをみんな一色単に聞いたらダメだよ。
言葉の雰囲気でこの人向けなのかな?ってわかってほしい。
不特定多数の人に発信するときに、ある人はグループで分けようとしているのもみえるし、不特定多数を意図せず「俺はね」っていつも変えずにいるスタイルの人もいる。
自分の思惑一つで文章って変わるって思う。
俺はグループにわけて発信して、言葉の使い分けをしているだけ。