宇宙の中であなたはひとつなのだ。

ふくろうの知恵袋のひとりごと

 ふくろうです。

 俺はさ、必死に世の中に合わせて生きてきたんだよ。頑張って頑張って頑張ってきた。自分は少し変わり者っていうよりも、皆と発想が違うってずっと言われてきたんだよね。だからどうしても世の中の人たちと噛み合わないわけだ。

 昔、沖縄でレゲエの人たちと色々やっていた時期があった。彼らと会って話していくと、めちゃくちゃ話が合っていくんだよね。

「レゲエの生き方良いぜ!」

 って思った。

 一般的なイメージは、レゲエっていうと髪を何十年も洗ってない、音楽を鳴らしてとか、っていうイメージがあると思うけれど、「見た目と人間の中身がまるで正反対」っていうのがレゲエなんじゃないかな。

 俺もすっかりレゲエが気に入って、レゲエの人たちに初めて会ったのが沖縄にいた時。

その時に丁度、元ちとせが結婚して子供を連れて来てさ。彼女は奄美大島っていうけれど、うちなーんちゅ、沖縄なんだよね。

 沖縄の母さんってさ、すげー厳しいんだよ。「なにやってるの!?」ってそういう声を出してさ、しつけに対してすごく厳しいんだよ。俺は「別にいいんじゃない?」って言っていた。ちとせもレゲエなんだよ。髪の毛もそういえばそれっぽいかなって思わない?

 沖縄と奄美と宮古、八重山(八重山は石垣島のことだよね。沖縄では石垣島って言わないで、八重山っていうんだよ。)そこへツアーみたいな感じで、レゲエの人たちが集まって企画をするんだよ。その企画は結構大きくてさ、先頭に立っているのが、沢尻エリカの元旦那よ。俺らはエリカって呼んでいたんだけど、ちょうど旦那と結婚する時だった。それでちとせも、

「エリカとはやめた方がいいよね。」

 レゲエの連中は、

「絶対やばいって!上手くいかないって!」

 って感じになった。結局結婚した。その旦那は誰かというと、レゲエの企画者、トップだったんだよね。

 当時ふくろうさんもレゲエの仲間に入る様で入ってないんだよね。俺が参加したのは建築なんだよ。レゲエをやるときに舞台を作らないといけない。彼らは自分たちで舞台を作って、そこにテントを張って、人が集まってきて何日もキャンプするんだよね。レゲエ移民の大移動みたいな感じだよね。

 俺は舞台作りづくりを手伝って、レゲエの集まりに参加したことがあるんだけど、面白かったよね。とにかくレゲエって人達はだいたい定職につかない。みんなアルバイト。だから、今この記事を読んでいる人でレゲエの人がいたら、頷くと思うけれど、平均してみんな器用なんだよね。

 「魚おろせます。」「ペンキできます。」「左官まかせてください。」とか、建築関係もよくできるだ。いろんなアルバイトをしているから、建築で舞台を作る時に指示をしても、上手い事やるんだよね。

 あれはね、驚いたなー。面白い人たちだな、って思った。だから、レゲエの人たちが定職につくときが一つの人生の音楽の区切りみたいな、そんな感じがあるよね。

 この記事を読んでいる人たちでレゲエを知らなかったら、レゲエにぜひ興味を持ってみたらどうかな?

 今から考えてみると、レゲエの人たちってレムリアの世界となんかダブるような感じがあるんだよね。あの人たちがレムリアなのかもしれないなって感じがするね。すごくいい人たちだよ。穏やかで。あまり揉め事や、暴力沙汰を起こさない雰囲気を持っているよね。それがレゲエなので、みなさん是非とも興味を持ってみてくださいよ。

 レゲエの人たちって世の中に合わせてないんだわ。自分たちの生き方をしっかりとやっているんだけど、レゲエの音楽を守るために若干世間に合わせているんだなって、俺なりに感じた。「俺たちはレゲエだからできません!」って感じじゃない。上手に合わせているよね。宗教みたいに「宗教がすごいんだ!」って雰囲気はない。

 自分たちのやっていることはマブイ(魂)の生き方。教祖的な人はボブマーリーだっけ。ジャマイカで。ボブマーリーの生き方、それが素晴らしいんだよ。俺たちもそれに習っていきたいんだよ。だから、贅沢なんてしなくていいんだよ。そんな感じなんだよね。

 俺も突っ込んで何回か聞いた。

「レゲエってなに?」

「別に音楽が良くてやっているんですよー!」

 しか言わない。そういうところもすごく気に入ったんだよ。

 そういうところで、俺も必死になって世の中に合わせてきた。家族を守るためにはしょうがないんだよな。家族を守るためには、人に接待しないといけない。嫌な奴に頭を下げないといけない。

「何で俺がこんなバカ共に土下座をしないといけないの?」

 商売で土下座したのは三回くらいあるかな。不思議と悔しいと思ってないんだわ。土下座をしながらちゃんとを舌を出している自分がいる。土下座をしても相手の事を「バーカ」って思ったら悔しくない。自分のプライドが傷つくこともないし、「土下座も一つの仕事だ」って思ってやっていた。

 そういう中で今の奥さんに出会った。彼女は頑なに「私わね!」って生きてきた。出会った当時はさ、

「そんなんだからお前はうつ病になっちゃうんだよ!」

「どうやってこの人を治したらいいかな?」

「この人のうつ病の根本はどこにあるんだろう?」

 って色々考えていたんだけど、結局「温もりが欲しいんだろうな」っていうところが俺の答えだったんだよね。

 温もりとは何かっていうと、例えば親からのちょっとした優しい言葉や、気遣いの言葉かけ。ごくごく単純なことだったんだよね。決して彼女の望んでいる事は難しい事じゃなかった。難しい事じゃないことを誰もやってくれない。そのうちにだんだんと自分の殻に閉じこもっていくようになるんだよね。

 彼女の場合は自分の殻に閉じこもるんだけど、性格がきかないから、とことん頑張るんだよね。彼女の場合は獣医になるために一生懸命頑張るんだけど、

「やっぱり獣医学科へ入学するためにも、入学してからの勉強も、自分の当時の学力以上の状態だった。朝から晩まで勉強していた。」

 って彼女は言っていた。

 自分の学力以上のところに入るって相当の努力だったんだろうな。それが大学三年生プツンと切れちゃった。身も心も疲れちゃったんだろうな。何もいらなくなった状態なんだろう。自分自身のこともいらなくなるんだろうな。

 奥さんと会った時一番嫌だなって思ったのは自殺だよね。笑いながらこの人は海に入っちゃうんじゃないかな。海の沖までずーっと行ってさ。「もういいや。どうでも。」って死に方をしちゃうのかなって、当時は思っていた。

 ま、これも縁だなっていうことで、一度自分は守り切れなくて死なせちゃったので、「同じ轍はふまない!」という覚悟でいた。今度は何とか守り切ってやろうと思った時に、彼女の傍から離れないのが一番の治療方法で、「とにかく俺がいるから大丈夫だよ。」って言った。

 よくうつ病で「依存は良くないよ」って聞くでしょ?あれは違うんだよ。誰かに依存しないと生きていけないんだ。うつ病を治すのに俺はマンツーマンだと思う。前に死なれた人ともずっとマンツーマンだった。

 ところがある時、手放してしまった。その隙に彼女は首を吊って死んでしまった

 前に「マリとは出会ってから24時間365日ずっと一緒だ」ってことを言ったんだが、それは治療があったからなんだよね。「絶対に離れない。目を放したら終わりだ」っていうのが何年間か続いていたよね。

 それがだんだん慣れてきて、別に365日24時間一緒に居ても苦にならないし、彼女自身は本来の陽気さと乱暴さも出てきたし、横着な部分も出てきた。

 基本的に優しい人間だから、一生懸命人に対して気遣おうと思っているみたいなんだけど、これがものすごい不器用なんだよね。優しさのかけ方って言うのが、まるでどこかのクソ親父が怪我したから「ほら!薬だ!」「ほら!包帯だ!」って持ってくるようなものだよ。もうちょっと優しい言葉をかけながら持っておいでよっていつも思うんだよね。

 そういうクソ親父みたいな部分があるんだよ。でも逆にそれがいいんじゃないかなと思う。俺がそういうことをマメにできるから。

 人に対して上手に包帯や傷の手当てをするのは俺ができる。奥さんはできなくても俺ができる。逆に2人とも出来たら、過剰になっちゃうんだよね。片方ができて片方ができなくてもいい。ただ、片方が出来過ぎても、出来なさ過ぎてもダメ。

 離婚とか別れるっていうのはやっぱり極端な出来ごとがあるから、極端な態度をされる。あとは一方通行、っていう所だよね。

 これは女も悪いし男も悪いと思う。その時の結果だけをみて、「相手がこうだから私は正当だ!」っていうふうに思っている人がいるけれど、それは違うよ。

 そういう風にさせたのも自分なのかもって判断した方がいいと思う。夫婦っていうのは2人とも悪いと思う。DVでやられるのは、そういう性質をもっている相手を見抜けなかったのも、DVをやらせる雰囲気を作るのも悪い。

 世の中そんなものよ。でも結局誰が悪いっていうんじゃなくて、お互い様だよ。これが典型的な日本文化、素晴らしい所だと思うよ。

 たとえ相手が悪くても喧嘩は両成敗するべき。江戸時代までは喧嘩両成敗があった。でも明治になって変わっちゃった。ユダヤ系のものが明治時代に入った証拠だよね。

 だから夫婦の間でもさ、善と悪に分けたら負けだと思う。負けちゃダメ。相手にそうさせた自分も悪い。そう思うことによってまた自分に幸せになるよ。

 昔何十年も恨み続けている人の相談にのったことがあるんだけど、「もういい加減にしなよ。幸せはいつまでもこないよ。」って俺は言ったんだ。

 でも彼女は「絶対に許さない!」って言う。

「じゃー勝手にしな!あんたに幸せは一生来ないよ。だから、旦那は嫌な事ばかりをあんたにやったんじゃないの?」

 今頃彼女はどこでどういう風に生きているのか知らないが。

 というところでかなり話が脱線し続けているけれど、自分が言いたかったのは

「人に合わせていくと、自分がなくなっちゃうよ」

 っていうことが言いたい。

 パラグアイに来てもワクチンの問題で、うちらは裁判で訴えられたんだけど、その時に日系人に言われたのが

「みんなに合わせておいた方がいいよ。」

「ワクチンだけは合わせる話じゃないから。実際に副作用で娘は苦しんでいるわけだし。」

 海外移住したら、我々外国人は孤立無縁になっちゃうよね。日系人にしたら、「外国で少人数で外国人として暮らしているから、パラグアイに合わせろ。良いことも悪いことも考えるな!」という考え。

 まーしょうがないんだろうなとは思う。でもこの事って日本でもあてはまるのかな?

「良くても悪くてもつべこべ考えるんじゃない。皆がやるんだから同じようにやりなさい。正しいとか正しくないとか、そんなのは問題ない。やれ!と言ったからやるんだ。」

 世界的にこういうふうな風潮なんだろうね。だから今回のコロナの一件だとさ、

「外出禁止でみんな外に出ないんだから、出ちゃだめだよ!」

「国が言ったんだから、国の言う事を聞かないとダメだよ!」

 ここの部分は国が言おうが誰が言おうが大勢の人間がそれに従ったら、自分も従うっていうようなものじゃないのかな。国に押し付けているだけ。

 人は波風立てたくない。トップが言わなくても市長が「それぞれの地域でやりなさい」って言ったら、言う事を聞くのかもしれない。仲間外れになりたくないから。

 逆に言えば悪の仲間外れもあるのにね。チンピラの世界も同じだよ。チンピラの世界も悪いと分かっていても、外れたくないから、やる。それがだんだん慣れていく。それだけの話だ。

 でもさ、「嘘でも従う」という時代は終わったと思うんだよね。完全に時代遅れだよね。

 ものの考え方、とらえ方が、最も時代遅れだなって思うのは、今の歴史、天文学、科学、医療、医学、こういうものに全く疑問をもたない。科学の方に関しては完全に信じまくっている。宇宙の話になったら、誰も見たことないのに、どっかのNASAだか知らんけど、どっかが言ったからそれを丸ごと信じている。

 ふくろうさんからしたら、

「アホちゃうか!?」

 って感じ。赤の他人が言ったことをよくそれだけ信じられるなー。

 赤の他人の言ったことを信じられる人間って、身近な人間の言う事を全く信じない人間が多いんだよね。大体定理だよねこれ。

 皆もそう思わない?なんとなくそういうのあるでしょ。だから今こそさ、「自分をとことん大切にする」だって自分の人生を他人に決められるっておかしいもん。自分は自分なんだよ。自分は他人じゃない。自分の気持ちなんて誰が分かる?自分の顔が笑っても心の中で泣いているのは、誰が分かる?

 自分しか分からない。なら、自分のために生きさい。何の為に他人のために生きないといけないのか?

 俺はさ、自分の為に生きているよ。エゴと言われてもかまわない。自分が一番大切だから。そして、自分を大切にしてくれる女房が居て、自分を大切にしてくれる子供が居てくれたら、その人たちも結局は自分自身になっちゃう。

 家族とは自分自身だよ。だから、家族と共に生きようとする。その家族は絶対に裏切らない。

 以前にふくろうさんはこういうツイートをしたことがある。

「海で自分の子どもと他人の子どもが溺れていたら、まずは他人の子を俺は助ける。」

「そんなことできるかね?」って批判もあった。

 自分の家族は自分自身だということを考えると、俺は他人を助ける。そして我が子と一緒に死ぬね。我が子は自分自身の分身であるから。

 自分はいつでも死ねる覚悟をしておこうと思う。人生の中で何度も「生きるか死ぬか」の決断を迫られたことがあった。その時に「命とは何だろう?」ってたくさん考えた。

 「何で死ぬのか?」が問題なんだよ。子供とその友達が一緒に溺れいて、自分が親に助けられた子供だとしたら、「どうして友達を先に助けてくれなかったのか?」って言う。

 そして、自分の子供もそういう考え方であって欲しい。俺の家族はそういう家族だと、頑なに信じたい。自分が死んだとき、うちの家族はどうなるんだろう?って考えたことがあったけれども、きっとそりゃあちょっとの間は、この個性的な人間が居なくなるから、寂しいだろうが、この家族はすぐに分かってくれるだろう。

「お父さんはいつも傍にいるから、家の中にいるから大丈夫だよ。寂しくないよ。」って会話してくれると信じているね。

 うちの女房は大泣きはしないだろう。声をあげて泣くようなことはない。自然と涙がこぼれてくるような涙だろうね。

 畑を耕した時に俺の波動を感じて、座り込んでしまうかもしれない。それは悲しいんじゃなくて感じるからだよ。悲しみっていうのはみんな「人が死んで悲しい」って言うが、俺から言わせれば人が死ぬっていう事はとても良いことなんだよ。

「よかったねー」

 って俺は葬式に行ったら、亡くなった人にいつも言ってあげていた。こんなとんでもない世界に産まれたんだもん。本当よかったよ。

「今によくなるから、よくなったら会おうね。」

 って葬式の時に言うんだよね。今度は自分の為に生きるんだよ。人の為になんて生きたらだめだよ。自分の為に人を助けよう。人の為に人を助けてはいけない。自分の為に人を助けるんだよ。それには大きな違いがある。

 俺はいつもお人よしだって言われる。この性格は変えるつもりはない。なぜなら、自分に常に正直でありたいし、自分の為だと思ってやっているから。

 この点はマリは少々疑問があるところだけど、いつも言われる。

「人がよすぎるから」

 って。でも俺はそういう自分が大好きだから。死ぬまでお人よしのふくろうさんでありたい。それがなくなったら俺じゃないよね。でもそうやって今期に産まれて、二回死んで生き永らえて、還暦が来た時に突然心の中に目覚める声が聞こえだした。

 もう自分でもびっくりしたよね。突然始まったから。

「何なんだろうこれは?」

 しばらく止まらなかったんだよね。

「お前はなぜ生まれたのか?」

「宇宙の仕組みっていうのは、こういう風になっているんだぞ。」

 って感じで、どんどん来るんだよね。だから、最初はすげー疑ったんだよね。

(これ、高次元体が何かやっているんじゃないか?だから騙されちゃいけないぞ!)

 って最初思ったんだよ。でも何かが違うんだよね。これは頭の方から聞こえてこないんだよ。お腹の奥の方からぐわーっていうふうに、せりあがるような感じで聞こえてきて、その声をとらえている箇所っていうのが、頭ではなかったんだよね。胸あたりで、

(そっか、そういう事だったんだ。)

 って思った。胸をみたら、ここに脳はないぜって思った。自分はそれが本当の自分だったんだなって気づいたんだよ。脳はほとんど嘘っぱちで、機械的な部品みたいなものなんだろうね。

 そしたら、だんだん

(俺の身体って何なんだろう?)

 って思って、どんどんとらえていくと、

(なんだ。この身体ってただ単に借り物じゃないか!むしろないんじゃん。どんどん身体が変わることもできるじゃん。)

 靭帯を切って、膝の半月板も損傷しちゃって、「これからは縄跳びできないよ」って言われたんだが、縄跳びも過酷な労働もやっている。膝のコキコキ鳴る音もなくなってきた。

 最近は「膝が痛い」って言わなくなったし、この身体は偽物の人形みたいなものだから、どんどんと自分自身で変える事が出来るんだろうね。自分で人体実験しているけれど、身体がどんどん強くなっていっているなって思う。

 そうやって皆ももう一度、自分自身を見つめなおしてみようよ。

 宇宙の中で、あなたはたった一つのものなんだよ。

 今言っている最中に目の前に白いもの出てきたんだけど、この話に反応して出てきているんだと思うけど、たくさん集まってきているね。最近喋っていて、色んなものが生霊から何から、いっぱい来るんだね、うちは。人が来なくてもすごく賑やかな家だよね。

 すいません、話がそれました。

 あなたはね、宇宙でひとつなんだよ。一人っていう言い方はやめた方がいい。

「ひとつ」なんだ。

 これは自分が宇宙ということを考えた時に分かった真理かな。お釈迦様は「無」っていう言い方をしたが、俺は「ひとつ」っていう言い方をしたい。「無」というのも「ひとつ」って意味があると思うが、今の時代で「無」っていうと分かりづらいよね。

 俺的には「ひとつ」かな。何もかもすべてが自分。「宇宙が自分である」っていう事だ。だから、「最後は点になり、、、」っていう部分だよね。それが自分であったっていうことろだよ。

 自分を大切にしないといけないということだよ。それは自然を守ることにもなるし、この悪いと言われているユダヤから何から、包括的にひとつにまとめてしまうものになってしまう。

 最後わけ分からないこと言っているって思うかもしれないが、悪も善も全部自分なんだよ。だから、以前の記事で載せた、NY郊外にいるサタンって言われている若者。今年で21歳くらいになるんだろうね。サタンっていうのは2000年に産まれているんだよ。西暦に2021年なら多分21歳だよ。

 それを考えるとノストラダムスの大予言の1999ってさ、なんかの「大王が降りてきて」って予言があったじゃん?あれってサタンの事を言っているんじゃないかなって思うんだよね。ちょうど産まれているのが2000年なんだよね。

 彼のことはすごく重要なんだけど、彼は善であり悪であり、すべてがひとつなんだって考え方をもてる大きな力の者なんだよね。それを多くの者に届けられる力を持っているんだよね。

 たぶん、このサタンっていうのは一体だけじゃないんだわ。すごく強いエネルギー体が凝縮したようなものだと思うんだよね。

 ま、彼がどう動くかがポイントになってくるんだろうが、何回も言うが、それは自分たち次第なんだよね。

 自分は自分なんだ。自分をとにかく大切にしましょう。そうすると、他人も全てのものも大切にすることになるんだっていうことで、今回は終わります。