貧乏人は心が綺麗だ。でも心まで貧乏になったらダメだよ。

ふくろうの知恵袋のひとりごと

ふくろうです。

もう俺の願いは地球の大陸が一つになって、人類が一つになること。

必ずそうしてやるって想っている。

これはかなり強く想っている。

それで、南米がまた東へ動き出したのかも。

中米が以前は細く縦長だったのに、今ではすっかり横長になってしまった。

大陸が一個になったらそんなに飛行機がいらないから、陸路で行き来して、みんなが人生を謳歌している。

国の仕切りもないし、世界中の皆が一つになることが国なんだ。

そこには支配者もリーダーもない。

リーダーはただの役割分担。

だから、どこからその自信がくるのか自分でも分からないが、大陸は今に一個になっちゃうよ。だから大陸はもっと移動する。

大きな海の所に大きな第二の大陸が現れるだろう。

そして、そこは非常に古代の高度な文明みたいな所で、そこに移住したり。これからの地球で生きていく人たちは多分そういう地球で生きていくだろう。

で、今悪いことをしている奴らって、全く違う星に行くんだろうな。

その星は地球と全く変わらない。

でもたぶんその星は我々は行けないんじゃないかな。交流がお互いにできない。波長域が違う所だから、タイムトラベルくらいの感じじゃないと行けないところなんだろうね。

始めての地獄界の地球みたいなのができあがるんじゃないの?

地球は奴隷の星って言われているけれど、違うよ。

それはあちらさんが都合がいいっていうか、自分たちが支配者だっていうことを保持したいがための方便だと思う。

決して奴隷の星ではない。

本当に今一番言いたいのは、今の政治家やNHKのアナウンサーや製作者、とくにエンタープライズの人たちは特に気を付けた方がいいと思うけれど、その人たちは知らず知らずのうちに悪に染まってしまって、そっち側の星に行っちゃうんだよなっていうのを俺は非常に憂えているんだよね。かわいそうにな。

でももうしょうがないんだよね。

それだけのお金が入るし、なかなかの美人もいるし、かわいい子もアナウンサーにいるし、最初はみんな違ったんだろうけれど、金の力に負けちゃったんだろうなって。

それは最悪なことだから、しょうがないよな。

そういう面では「うちなんて貧乏なんだ」って言っている人がいるが、貧乏の方が心が綺麗になるからいいよ~。こんなところでお金が入ったら欲が出ちゃうから。

人生は今決まる訳じゃないから、負けるが勝ちって言ったら勝負になるかもよ。

だから貧乏がいいって。

貧乏人って心は豊かなんだよ。

心まで貧乏人になっちゃだめだよ。

心が豊かなのを貧乏って言うんだよ。心まで貧乏になっちゃったら、それは最悪な貧乏だな。

貧乏は金がなくても皆笑っているからね。

いいよ~!そんな貧乏になりなさい。

うちだって、貧乏だよ。

「貧乏だけど、これから土地をバンバン買うよ」って言っている。どこにそんな金あるんだ?って感じだけど、何の自信があるのか、2人で「買えるでしょう」って言っているからすごいよね。

うちらは、今の時代に言わせたら、バカだから。

願い事なんて絶対に叶うよ。

他力本願、そんなことしなくても、世の中を自分たちが変えるからって思っている。

本当どこにそんな自信があるのか?って思うが。

大丈夫。

竹内文書、一二三は、多分ふくろうさんが言えば向こうの文章変わるでしょ、って勢いだから。俺の方が間違いないって。

すごい自信でしょう?

みんなもそれくらいの自信をもって生きなさい。

あなたもそうなりなさい。

人は「どっからその自信がくるの?」ってすぐ言ってくるが、そうやってこの荒波、こうやって乗り越えていった方がいいよ。

今、耳鳴りの音がちょっと一定になりだしたよね。

前は高音になったり下がったりってあったが、最近は一定の高音で過ぎていっているよね。

あんまり気にならなくなってきた。

ちょっと意識すると、「耳鳴りなってるなー」って感じだけど。

でも今は魂体に意識が移行しちゃうと、きーんっていうのは無くなると思う。

まだ今移行中なんだわ。魂体の方に。

ま、つわりみたいなもんかな。

つわり。笑。

調整の為に今やっているんだよ。

俺ね、ツイッターからブログに変えてよかったなって思う。

ブログだと、批判が書き込めないからいいよね。

ブログって好き勝手なこと言えるでしょ。

ツイッターって世間があるよね。嫌だよね。この世間。

このふくろうさんでさえ気にして、「この言葉やめたほうがいいかな」とか。なんかふくさんらしさが出ないのよ。

でもブログは良いなって思うのは、嫌だったら見なきゃいいんだよって話だから。

嫌な奴に読んでほしくないし。

自分と合う人間だけに俺は読んでほしいし、これからも付き合っていきたいなって気持ちでブログを書いているから、なんとなく、自分で話しながら、たまーになんか来るんだよ。

「こんなこと言ってよー」「これはどうなのー?」って感じがきて、急に話題が変わっちゃう場合がある訳。

「今日はこのテーマで行こう」と思っても、急に脱線しちゃうんだよね。話している最中になんか知らないが、質問とかがくるんだよね。

勝手に自分が話題を変えちゃうわけよ。

だから、俺が話している横で、マリが一生懸命字を打っているが、話題が急にゴロンって変わって、あたふた言いながら書いていると思うけれど、どこからか波長みたいなので聞かれるみたいで、「それについて話そうか~」って感じで。

今日のブログの場合も、題は何も決まってなくて、「マリちょっといい?」って横に椅子を置いてべらべら話し出す。

とりとめもない永遠な話もあるわけよ。

ほとんど独り言のようにペラペラしゃべっている状態だから、打っているのも大変だろうけれど。

全部喋り終わったら、話題がころころと変わるんで、マリさんが上手く編集してくれるんだよね。

接続詞や「話題が変わるけど」とか、入れてくれる。

ブログを読んでくれる人に理解してもらいたいんだけど、話をしていると、ふと聞かれるんだよ。

あと、よくみかけるのは、返信で「今の私にピッタリな内容でした!」って。

たまーに、「あんたかい?これを聞きたいって言っていたのは?」って思う。

「あまりにもぴったり」ってツイッターで多いからさ。

その人たちが俺に聞いて、「ブログに書いて」って言っているのかなって思うよ。

そんなのも感じながらブログでペラペラしゃべる。

61になって最高の人生を歩んでいるよね。

最近はなんかヤバイ感じがあるんで。俺と兄弟のような甥っ子が24歳で昔死んじゃったんだよね。

それでうちの家の跡継ぎは甥っ子の次はふくろうさんが末っ子なので継ぐことになる。北海道では次男坊は継がないんだよね。長男、その息子の長男がいなくなったら、末っ子の俺。いよいよふくろうさんに来たときだったんだよね。

それはまた別の機会に話すけど、その甥っ子が夢の中でバイクに乗って、帽子をかぶってきた訳。

それで、乗り物、帽子、白、ときたらさ、これお迎えなんだよね。「あなた死ぬからお迎えに上がりました」ってことだからね。

目覚めたら「やべーな」って思ったんだよね。

甥っ子にね、「おじさんさ、まだ死ねないんだよね。もう10年くらい待てないかな」って言っている最中だよ。

「そっち側の世界は時はないだろうから、しばらく待てよ」って。

俺自身はいつでも死ぬ覚悟ができているから、いいんだけど、奥さんが若くて覚悟がない。

「もう10年くらいしたら、俺を連れて行ってくれよ」と。

多分甥っ子も俺と同じ袋かご近所さんか、だと思うんだよね。

本当にいい奴だったよ。

ふくろうさんは死にません!しぶとく生きてやる!

心配でマリに任せられないよ。