ふくろうの知恵袋です。
最近の俺の体験談と、過去の臨死体験に基づいて気づいたことをだいたいまとめることができたので、現在進行中のアセンションとは何か、について書きます。
1回目の臨死体験
私は臨死体験を2回している。
1回目は6歳の時、移動性盲腸炎で40分間心配停止し、医者から「ご臨終です」と言われた。
俺は「母さん、腹が痛い」と言い、お袋と一緒に医者の元へ行った。
きっとヤブ医者だったんだろうね。
その医者は「これは盲腸じゃないよ。ただの腹痛だよ。」と言われ家へ帰された。
親も親だと思うのだが、痛いと言ってからそのまま4日間くらいほっとかれた。
その間地獄の苦しみだった。
熱した石がお腹の中にあるようで、痛いのを通り越して気が遠くなった。
4日後、別の医者にみてもらったところ、盲腸だったことが分かり
「お子さんの痛みは多分、お母さんが今まで味わったことのある痛みの何百倍の痛みだよ。それは想像を絶する痛みかと。」
と、母親へ話していた。
その後、緊急手術を施術をしている時に、昔は手術を窓から見れるようになっていて、そこから俺のおじさんが手術経過を見ていたらしい。
後からおじさんから聞いた話だと、「お腹を切開して腸を取り出した時に、腸がどろどろに溶けて、指の間からぽとぽと落ちていた。これは助からないな。」とおじさんは思ったそう。
そして、お腹の中に氷を直接入れて冷やしたらしい。まったく乱暴なやり方だよね。
そのまま病室へ運ばれて、医者から「ご臨終です」と言われた。
ベッドに寝ていた私はその時、頭から自分が外に出たような気がする。
そして、頭の上の病室の角から自分の姿を見ていた。
俺はこう思った「父さんがいる。母さん、姉ちゃん、兄ちゃん…みんないるな。あれ?俺がいる。。。」
まだ6歳だったのでそんな風に思った記憶がある。
ものの一分も経たずに、今度は再度身体を通って足からすっと抜け出たような気がする。
足の方の部屋の隅、自分が天井付近に立っていた。
その時も自分の姿を眺めるのだが、自分が自分じゃない感覚があった。
冷静な自分がいた。
自分の隣に窓みたな黒い真四角のものが現れた。
そこに吸い込まれるように、横になってすーっと飛んで入って行った。
その中は長いトンネルだった。
途中、右手にぽつんと明かりが見えたというのが、ひとつ記憶に残っている。
俺はぽん、と降り立った。
そこは火星みたいなところだった。
緑が何もなくて、砂漠のようなところで、「さらにこの奥へ行かなくちゃ」と思うと身体がふんわりと軽く、ぽんぽん飛んで行けた。
すると目の前に大きな山が現れた。
三角形の山ではなく、平らな小さな小山みたいな山だった。
そして、そこの上に霊媒師であった俺のおばあちゃんと、金髪の髪の長い綺麗な女性なのかな、今から考えると女か男か…性別がない感じだった。
その人が立って微笑んでいた。
自分は「やっと帰ってきた~!」と思って喜んだが、おばあちゃんが「それ以上来てはいけないよ」と言われた。
俺は「やっと戻ってきたのに!」とだだをこねたが
おばあちゃんが「母さんが呼んでるから戻りなさい。」と言う。
後ろを振り向くとお袋が俺の名前を叫んでいる。
「あー、そっかー。なんか悲しい声だな。戻んないといけないんだな。」と思った瞬間、自分は病室に戻っていた。
ところが大変。
息が苦しくて苦しくて呼吸ができない。
お袋は俺の手を握って、俺の名前を何度も叫んでる。
「呼吸ができないよー。どうしよう。そうだ。手…手を握り返さないと!」
と、一生懸命力を入れたら握れた!
お袋は俺の手が動いたのを感じて「この子は生きている!」と叫び、すぐさま人工呼吸器が来て、俺の心臓は40分間止まっていたが、再び生き返った。
今から思えば、この時に何かしらの魂が私の魂にかぶさった気がする。
実は死んだおばあちゃんがこう予言していたそうだ。
俺は6歳、19歳、49歳の3回死ぬと。
まず、1回目の予言は当たったのであった。
2回目の臨死体験
続いて、俺が19歳の時、3mくらいの高さから真っ逆さまにアスファルトの上へ頭から落ち、ほぼ即死になってしまった。
そのまま病院へと担ぎ込まれたが、人工呼吸器だけ施され、親が病院へ到着するまで延命処置されていたようだ。
医者としては「もう助からないから、両親が来たら、人工呼吸器を取ろう」という頭があったようだ。
しかし、お袋は「この子は1度死んだ人間で、この子は絶対生き返るんだ!とにかく人工呼吸を外さないでくれ!」と、だだをこね、10日間ほどそのまま植物人間で生きていたようだ。
意識が戻るこの10日間に、第2回目の臨死体験をした。
今度はトンネルも何も通らないで、懐かしい感じのする昔の日本のようなところへと降り立った。
そこにおじいさんが立っていて、「さあ、案内しよう」と言われた。
おじいさんが「さあいくよ。」と言ったら、すーっと彼は上に昇って行く。
俺は「えー、俺こんなことできないよ。どうしたらいいの?」と聞いたら
おじいさんは「お前にもできるよ。目をつむって、自分もあそこまで行ってると思いなさい。」と言う。
目をつむって思ったら身体が浮遊していた。
そして、そこからおじいさんによる案内が始まった。
懐かしい感じのする町並みが見えてきて、昔の町並みのようだった。
そのまま少し行くと、一人の男が畑で耕していた。
今、自分がパラグアイに来て、畑を耕していることを思うと、その男は自分だったように思う。
次は学校が見えてきた。普通に門がある学校。
生徒は服装が定かではないが、普通の格好していたようだ。
かばんや何も持たず、ただ粛々と学校へ入って行く。
おじいさんが「お前が習っていた学校とは全然違う学校だよ。ここの学校は本来必要な知識を教える場所だ。」と。
次に見えてきたのは、大きな穴の周りに羽衣を着た天女が浮遊していた。
羽衣にはそれぞれ赤や青や黄色など…いろいろな色がついていて、何色かが暗いトンネルの下に吸い込まれるようにしていく。
俺は「あれはなんですか?」と聞くと
おじいさんは「あれはここで地上の色を決めてるんだよ。色はとても重要なんだよ。」と教わった。
「色」と「音」、これが生きていく上でとても重要だと俺は分かった。
その時に、今有名なある宗教家にお会いした。
その方は「俺は高次元の存在だ」と名乗っていたが、私と同じ次元に居たのだから、あまり高くはない。
名前はあえて言いません。宗教は怖い。攻撃されるから。
そうやって臨死体験2回目がきた。
そして来る3回目の死、49歳、、、さすがに「これで俺の一生は終わる」と思った。
「人生の最後は世の為人の為に尽くして終わろう」という覚悟で、40歳で会社を畳んで南国へ移住した。
ところが、覚悟して49歳の誕生日を迎えたが、結局私は死なず、その後今の妻に会うことになる。
多分、今の妻が俺を殺さなかったんだろうね。
妻いわく「私が連れていくから~!」ということで、29歳も離れている夫婦ができあがるわけだが、普通はありえないカップルかな、という気がする。
そこには運命的なものを感じて、「この人は前世の奥さんだ」ということを自分は気づく。
何回か前世で夫婦をやっていたみたい。
だから我々の夫婦はなかば戦友みたいな感じです。
夫婦としては男女がまったく真逆です。
だから逆に言えばいい夫婦だと思う。
俺の考えるアセンションとは
さて、前置きが長くなった。
本題に行きたいと思うが、いよいよ終末の時、アセンションする時、覚醒の時が来た。
俺の臨死体験から、「終末とは何か」ということを考えた時に、無限の形∞を思い浮かべてほしい。
2つの○の接点の部分が0場で、そこを通りながら8の字を横に描くようにぐるぐると行ったり来たりしている。
我々は何回か生まれ変わって、∞のすべてを経験し終わった地点にいると思ってほしい。
ということは、これ以上はないということ。
これ以上ないということは元に戻って行くということ。
聖書のバベルの塔の話で、上に神様が居て人がそこを目指す…と言われているが、俺的には真逆だと思う。
神は下に居るものだと思っている。
「下へ下へ地球の地下へ、自分は行かなくちゃ行けない」と長年俺は思っている。
今の覚醒の時期にさしかかった時に、この意味がだんだん分かってきたのだが、「我々は実は色々なことを学ぶ為に生まれ変わりをしてきた」
これは一般的に言われてきたことですよね。
では具体的には何を学ぶのか?
なかなか具体的にまで書かれている文章を読んだことがないのだが、これは俺のツイッターにも投稿したことだが、「私たちは愛というものをテーマに、今回何回も生まれ変わりをするという経験をしてきた」みたいです。
高次元の人間たち(光側と今は言ってますよね。プレアデスとか色々。)この者たちの中から地球に降臨した代表者がイエスだと思うが
この人たちの考え方は「他愛の精神」「人に愛を分けてあげなさい」これはレムリアの時代でもそうであったように、「皆、命は一つだから」という考え方に基づいていってるので、「人を攻撃する」とか考えないし、そういう概念がない。
だから、「愛は人にあげるものだ」という考え方をもってしまう。
それが、高じてレムリアはマヤやインディアンのように、悪者がやってきて、あっという間に滅ぼされてしまったのだろう。
そして、その愛のもう一つの考え方としては、昔、テレビで藤井フミヤ、彼は恋愛の歌をつくるが、「恋愛以外にもフミヤさん、歌をつくってくださいよ」とインタビューで言われ、「愛をテーマにしか俺らは作ったらいけないんだよね」と、ばらしたことを俺はよく覚えてる。
あれは悪魔側が人間たちを洗脳するためにやったことなんでしょう。
「愛は相手を思うこと」「恋愛」これが最高の愛なんだと、我々に植え付けようとしたのだ。
結局、我々人間たちはそのどちらが正しい愛なのかを確かめようとして生きてきたようで、この終末期において、多くの人間たちがひとつ悟っているのが「愛というのは自愛が最高である」ということ。
そもそも「愛というのはこうなんだよ」という概念がないのだ。
あえて俺の造語で言うのなら「無愛」
これが実は真理だったのではないだろうか。
「絶対に片方へ寄ってはいけない」というのが、愛なのだと。
そして自愛をする(自分を愛する)ということはすなわち、大勢の人間たちに愛を与えることに繋がる。
一見バラバラに見える私たちひとり一人の魂は、元々は一つだから。
魂を例えて言うのなら、マスターがいて、ある風船を膨らました。
その風船の中には、風船を膨らます息ひとつひとつが我々の魂であると、思えばいいのかな。
大きな風船に入った何十億の魂たちは袋から飛び出し、地球上へ入り、経験し、また死んで風船に帰り、皆と情報を交換し合い、何回も経験して、その風船を色鮮やかにしようということをしていた。
ところが、悪魔がその風船に帰らないような措置をとった。
それが「あの世」というものを作ったのでしょうね。
死んだら本来の風船に帰れず、地上で傷ついた魂を癒やしたり、お互いの魂の情報交換・経験交換することができずに、あの世へ行かせ、すぐに地上へ生まれ変わらせる。
私は基本的に輪廻はないと考える。
これを言うとみんな「えー!」と言うが、輪廻ではなくて、皆ひとつひとつの魂が生まれてきているわけで、その情報を共有しているから、生まれ変わっているようにみえる、と自分は判断している。
だから、多分、自分たちは全人類の歴史も見ることができるでしょう。
でもそれができる時は、私たち自身がマスターになって、違う宇宙を作るものになっているのだろう。
我々は神ですよ。間違いなく。
だから、高次元のものも、うちらを助けようとするし、聖書に書かれている悪魔は胎天使だということを逆に言えば、私たちは上だと言うこと。
私たちは何でもできるわけです。
自分の思考でこの世の中は間違いなく出来上がってる。
でもいくら思っても宝くじが当たらない、お金が入らないというのは、自分の力を発揮する方法を学んでないから。
これからみんな学ばないといけない。
例えばドレミファソラシドを唱えることによってある周波数になったり、水をワインに変えたりできるそう、それほど難しいことではないようだ。
現実にうちの女房の思考によって、たくさんのらぱちょの木(桜の木のようにピンクや白などの花を咲かせる木)が、うちの街には全然なかったのが、急にらぱちょ並木になり、うちの畑にまでらぱちょの木が突然生えてきた。
これは明らかにうちの奥さんの思考です。
これで出来上がった。
その思考のやり方はどうやったのかというと、「昔はたくさんのらぱちょの木があったのだろう。パラグアイ人が切りまくって今は全然ない!」と彼女は思うわけ、そうすると、木が突然生えてきた。
未来的に木が生えるのではなく、過去に戻って木が生えてきた。
これが突然マンデラ効果という感じで出てきてるのでしょう。
世界地図を見るたびに大陸が動いているのだが、移動する方向を考えると、最初にあった昔の一つの大陸にどんどん戻っていってるのだろうという感じがする。
ここからは私の妄想だが、グリーンランドはさらに南下してきて、大西洋にアトランティスを築く。
マダガスカル、インド、オーストラリアらへんが大きな大陸なるのだろう。
これが一番最初のレムリア大陸。
新島を中心にして小さな大陸ができてこれがムー大陸となる。
これに向けて時間が逆行して行くのでしょう。
我々は本体の一番最初の姿に戻って行く。
さあ、アセンションとは何か、覚醒とは何か、これが今回のテーマでしたが、生まれたところにもう一度帰ることがアセンションなのでは?
一般的に上昇すると言われているが俺的には下降する。
うちらが元に戻るところは0場です。
それがアセンションなのです。
その第一段階が5次元であり、6次元なのでしょう。
そして、それを通り過ぎて7次元になるともはや、身体が必要ないと悟り、8,9,10次元となるのでしょう。
大きな風船に戻り着くまで何十次元までいくのかは分かりませんが、それが我々の最後の到達地点であり、アセンションなのでしょう。
では、また。