なぜ我々は何度も生まれ変わり体験しなければならなかったのかの答え【いざ第二ステージへ】

ふくろうの知恵袋のひとりごと

ふくろうです。

人間って土がポイントな気がする。

以前から俺も「土を触れ~」って言い続けてきたけど。

確かに「世の中は何もない」っていうのも分かった。

「何もない」っていうのは、映像なんよ。ゲームみたいなものだったんだよ。

それはよくわかった。

それが真理であるし、我々は無限の永遠の命を与えられているから有限っていうものを体現したくて、こういうゲームをやっているのも分かった。

その中で、解脱した人間たちに自分が問いたかったのは、「あなた方は確かに座禅を組んだり、山にこもってみたり、世の中を歩いてみたり、確かに大変な修行をしてきただろう。だけど、一番大切な事をあなた方は忘れていたんじゃないか?」って俺は問いたいんだよね。

それはこの地球というところを見渡してみたら、海と大地がある。

「何の為にこの海と大地があるんだろう?」っていうところに俺は焦点を当ててみたんだよね。

要するに、お釈迦様とか他の人たちは「人はなぜ生きるんだ?」この人間っていう部分に焦点を当ててきたと思うんだよね、

でもそれっていうのは第一段階の高いか低いかっていったら分からないけれど、それは本当の初歩段階だったのでは?って気がするんだよね。

永遠と土の上を這いつくばって、永遠と土を耕して雑草をとっている時、「人生って何だろう?」って考えてみた。

だけど考えるよりも感じたことがあった。

それはこの海と大地の温かさっていうかな。この土の上というのは非常に温かい。どう表現していいのだろう?

何かを生み出してくれるもののような気がする。

生命が海から生み出されたっていうんだけど、確かにね、人間が生まれ変わる時に水の中に飛び込むんだよね。

崖の上から飛び込んだり、池の中に入ってみたり、いろんな水の飛び込み方があるんだけど、海の場合は、母親みたいな包み込むようなものがあると思うんだよね。

そして、海は生命を生み出すところなんだと。

大地は育む所なのかもしれない。

「海で生み出して、大地ではぐくむ」

そしてそれが我々なのではないかな?

漠然としているんだけど、お釈迦様とか他の人たちが言ったことってこの世の中の仕組みだよね。

仕組みが分かったところで俺は嫌だと思ったんだよね。むしろ海と大地に包まれたいっていうか、そこに溶け込んでいきたいっていう自分がいるんだよね。

生きるというのは色んな体現をしたり、っていうのもあると思う。

本当の大切な事っていうのはこの海と大地を感じる事だったんではないかな~。

ちょっと内容が中途半端なんだけど、この2月11日っていう日を境目に自分の中に変化が起きてきて、すごく楽しい雰囲気にはなった。

そしてもう一つ、変化が訪れたのは今のことだったんだよね。

当たり前のように「この世の仕組みを理解することが大切なんだ」って思っていたんだけど、11日を境に突然変わっちゃった自分がいてさ。

生まれて初めて自分で感じているんだけどさ。

「海と大地」

なんか、お釈迦さまやあの人達よりも、我々人というのは第2ステージに行ったのでは?って気がしてならないな。

第二ステージの主役がニューヨーク郊外にいるサタンって言われている存在じゃないかな?って気がしてならない。

多分、今我々を引っ張っていこうとするものが、3,4人この世界で現れていると思うんだけど、それはあくまでも第一ステージにおいての終焉ってことで、現れた者たちなんではないかな。

自分は何で帰ろうとしているのか?レムリアの元の袋にしきりに戻るんだよなって思っていた。

だから、自分が次元上昇っていう言い方で、以前にブログに出したが、確かに他の人からの質問で「次元下降っていわなかったけ?」ってその通りなんだよね。

その通りなんだけど、下降っていう言い方をすると皆が理解できないだろうって思ったので、一般的に次元上昇って言った方が分かりやすいだろうって思ったから言ったんだけど、本当のところは「元に戻っていくのではないだろうか」って思っている。

10に行くことも元に戻ることだし、1に行くことも元に戻る事なんだ。

だから、数学の12345って上にあがるっていうことではないんだ。

「数字というのは1が一番下で9が一番上なんだ」っていう考え方をしているから、「次元上昇」「上に」っていう考え方になる。

でも数字というのはランダムなんだ。

はっきりいえば、数字は統一性がないんだよ。

ないんだけど、あえて統一性を持たせたのが今の文明なんだよね。

多分インドの一番最初に数学を編み出した人間は、あまりにも数字がランダムなために「なんとか統一性を持たせたい」と思って考えたのがこの現代の数学だろう。

それはあくまでも自分的にいえば方便だよね。

方便にしかすぎなかったんだよね。

数学というものを生み出すことによって、我々は縄で縛られた感じになって進歩はなく、かえってレベルが下がっちゃった。

今我々は「数字はあくまでもランダムなんだな」って考えた方が、より幅の広い自分が出来上がっていくと思うよ。

それで、多分自分は「これから平面の世界にいくんだろう。そして最後は点に帰っていくんだろうな」って思うんだけど、なぜそういう風に思うんだろう?って思った時に、それは「第一ステージが終わるよ」って言う事だったんだと思う。

自分に来たのは「次の宇宙を創ることだよ」ってきた。

何の為に次の宇宙を創っているんだろう。

今の自分の答えがそれは第二ステージなんだ。

すなわち、お釈迦様を頂点にして我々はこの世の仕組み、人間とは何か、永遠の命である自分たちが有限というものを体現する、死、苦しみ、憎しみ、喜び、そんなことを体現するのが第一ステージだったのでは?

それで、これから、たぶんNYにいる若者が第二ステージの主役となって踊り出てくるんじゃないかなって気がするね。

そのNY郊外にいる彼から感じるものが、なんかすごい透明感があるものを感じるんだよね。

透明感っていうのは「これから新たに始まる全く我々が味わったことのない感情みたいなもの」なんだよね。

「こんな感情って初めてだ!」って。我々が想像できないものが現れるのかも。

これが第二ステージみたいだ。

そのポイントとなるのがこの「海と大地」のような気がするんだよね。

まだ何が何だか自分にもさっぱりわからないが、何かそれを感じるんだよね。

なんかこんなちんけなゲームじゃねーぞ!って感じがする。

大いなることが第二ステージで始まるんだろう。

そして、我々もそれに参加できるんだろう。

そのための第一ステージ、今までの世界は準備運動だったのかもしれない。

これからいよいよ本番がスタートするのかもしれない。

いや、きっとそうだろうなって思うね。

なんかワクワクしてきたよ俺は。

去年からずっと11って数字が出てきて、「何が始まるんだろう?」って思っていたが、全く新しい考え方っていうか、とらえ方っていうか、今何人かそういう方がいるんじゃないかな。

「何なんだろう?この気持ちに来る、お腹の中から来る、上がってくるこれって何なんだろう?」って同じく思っている人はひょっとしているかもしれない。

それは多分第二ステージに向けてのワクワク感かもしれないね。

我々が味わったことのない感情っていうか、宇宙初の感情みたいなものが出てくるのかもしれない。

それで我々は少しずつ味わってくるのかもしれない。

俺、お釈迦様なんて越えられるとは思わかなかった。お釈迦様に向かって我々は歩いていっているとばかり思っていた。

でも、突然始まったんだよ。

このワクワク感。

今までのような「わー!楽しい」って言うワクワクじゃなくて、新しい扉を開いていくようなワクワク感だと思わない?

これも数字のランダムで越えるとか越えないっていう話じゃなくて、お釈迦様はお釈迦様でありがたい役目をしてくれたなって思う。

でもいよいよこれから、そのお釈迦様が役割として今まで作ってくれたからこそ越えられる。次のステージに行く時がきたのかもしれない。

これはすごい。

マリ
マリ

最近毎日見たことのない雲ばっかりで、雲がおもしろい。

 

面白くて面白くて、しょうがない。形も色も面白い。

お姉ちゃんも雲に注目しているよね。

全く新しい事だから誰にも分からないんだよ。

お釈迦様の世界っていうのは哲学の世界、それが終わったんだよ。

哲学って「なぜ?」ってだからな。

「なぜ?」というのは「在りたい」、哲学っていうのはこの「在りたい」っていうことが哲学なんだろうな。

今までの世の中は「こう在りたい。こう在りたい」っていう風に思っていたんだろうな。

そうやって進んできたんだろうな。

でも「こう在りたい」っていうのが終わったんだろうな。

だから第二ステージに入って行く。

そのためには全く違う宇宙が存在しないといけない。

もう一つの違う宇宙で全く今までと違う価値観、違う宇宙ができる。

それが目的だったんだ。

第二ステージ。

やっぱり我々のためにその宇宙はあったんだなって。やっぱり我々は主人公であり、我々がこの宇宙を創っていっているんだろうな。

これで点に帰るっていうのも合ってくる。

元に戻らないと新たな宇宙にはいけないから。

第二ステージってどんなとこ?

無と有の中間みたいな。無でもないし有でもない。

全く新しいところを生み出そうとしているみたい。

無でもなきゃ有でもない世界ってどんな世界だと思う?

マリ
マリ

半透明みたいな?透けている感じ?

 

まりは色でいくんだな。

半透明か。。。?なんだろう?

色でも音でもない世界ってどんな世界なんだろう?

それでも何かがそこには存在する。

あるがままともまた違う世界。

あるがままっていうのは確かに究極の世界、お釈迦様の。

あるがままっていうのはやっぱり何かあるんだよね。

でも今回の第二ステージって越えるものがあるんだろうな。

やっぱり分からない。

確かにこのイベントは宇宙始まって以来なんだと思う。

新しい宇宙を創ろうとしているんだから。このイベントはすごいよ。

「とうとうその時が来たんだ~!」って感じだな。

第一ステージの主役はお釈迦様、第二ステージの主役はこのサタン。

すげーな。

この海と大地がポイントだよ多分。

この海と大地で何をやろうとしている?

第二ステージでは自分たちがわき役になるような感じがする。

自分たちが第一ステージでは主役だったけど、今までの知識をたよりに何かの為にわき役の状態で入っていく。

海と大地の周りに自分たちがいて、一生懸命助けようっていうか、わき役になる。

第一ステージは、第二ステージのわき役になるための経験をしたんだろう。

体現したんだと思う。

我々は相当なものをもっているんだろうね。

よく映画である「超能力で、えい!」っていうちんけなものじゃないと思う。

そんな太陽系だかなんだか知らないが、そんな程度は「はいよ!」って、一人でそれくらいの力は持っていると思う。

だからこそ自分自身を封印しないといけないんだろう。半端じゃない力だからこそ。

封印するっていうのも、なぜ自分たちは封印したんだろう?って思ったら、半端ない力なんだろう。

映画のXマンのような、あんなちんけな力じゃないと思う。

あれの一千億倍、一兆億倍くらいのとんでもない力を我々が持っているんだろう。

だから封印せざるを得なかったんだろう。

一人一人がとんでもない力で、我々の頭では考えられないくらいの力、だから我々は自分自身を封印した。それは第二ステージに行くための封印だったのだろう。

そして、第二ステージでは自分たちの力を発揮しても問題ないところなんだろう。

その力が必要になるんじゃないかな。

メインのために。

だから、我々がわき役になってメインを進める為に、いよいよ我々の本当の力を使うって感じなんじゃないかな。

ちゃんちゃん。