【10のパラグアイ人の素顔】人懐っこいけれど・・・

*【南米パラグアイ】生活情報*

南米パラグアイへ移住したマリです!

私は日本で産まれ育った日本人です。

パラグアイに移住してくると、パラグアイの文化やパラグアイ人の感覚の違いを大きく感じるので、理解に苦しむことも多々あります。

また、パラグアイ人側からも日本人の性格や性質、生活を見たときに、全く理解できないようです。

ついつい、日本人の感覚でパラグアイ人をはかろうとしてしまいがち、そうなると、現地に住む日系人がよく言う「パラグアイ人は泥棒だ。信用できん。」という言葉に繋がってくるのだと思います。

今回はパラグアイ人の素顔について、感じたこと聞いたことを、まとめていきたい思います。

1【堂々とした不倫や浮気】

私には良く分かりませんが、自分や相手が結婚していても関係ないようです。

とにかく、男性も女性も相手を気に入ったら猛アタック。

日本では不倫相手がどうのこうの・・・と言っているのが、大概が相手は一人だと思いますが、そんなことは馬鹿馬鹿しくなってくるくらいです。

男が結婚していても性懲りもなく、浮気相手の女性が30人以上なんていうパラグアイ人もいます。

このケースは純粋に相思相愛で・・・というより、浮気相手の若い女性がおこづかい欲しさに寄ってくる、という感じみたいです。

パラグアイ人カップルでも、もちろん相思相愛のケースもありますが、「愛はお金よ」というケースも結構多い感じがします。

私は理解不能なぶっ飛び宇宙人なので、そんな私をコントロールできる奇特な人は旦那くらいしかいません。したがって、男性からモテる方ではありません。

こんなことがありました。

朝の搾りたての牛乳を売ってくれる、結婚しているとあるパラグアイ人がいます。

偶然にも、私の新居の近くに土地を持っていて、我が家の前を通りかかりました。

ここの土地を買ったんだね。

マリ
マリ

そうなの。パラグアイは書類がダメな土地が多くて、なかなか購入できなかったんだけれど、22件目でやっとだよ。

うちもいつかはこっちの土地で家を建てたいと思ってるよ

マリ
マリ

そうなんだ。

旦那はいくつなんだ?

マリ
マリ

60だよ

あなたは?

マリ
マリ

31だよ

じゃあ、旦那の方が早く死ぬね

マリ
マリ

・・・(怒)そうかもね。でも、私の方が先に交通事故で死ぬかもね。

うちの妻は生理に問題があってね。もう子供が産めないんだ。

マリ
マリ

(一体なんの話だ!?)あ、そう。

日本には恋人が何人かいるの?

マリ
マリ

は・・・?誰の話?・・・私っ!?

そうだよ

マリ
マリ

いないよ

じゃあ、旦那が死んだら恋人になってよ。

マリ
マリ

私は日本人です。日本人はひとりの人を生涯愛しぬくという性質があるため(例外も多々あるが)私はたとえ旦那が死んだあとでも、再婚も恋人も作りません。死んだあとでも、ひとりの人を思い続けるのが日本人です(例外も多々あるが)。

(悲しい顔になって)・・・そうなのか。

マリ
マリ

パラグアイ人には理解できないでしょうが。

あとから聞いたのは、このパラグアイ人のとっつぁん、年齢は旦那よりも年上だった。

わたしには理解できません。

2【現金を手にした途端、仕事を休む】

現金を手にすると、翌日、仕事に出てこないことがよくあります。(旦那いわく、沖縄でもそうみたいです)

月払いのところは、その翌日は仕事に出てこないことがざらだそうです。

多くは、土曜日に給料が支払われますが、臨時のお金が入ると、なくなるまで使い果たします。

お金がなくなるとどうなるかは、↓へ続きます。

3【現金はなくなるまで使い、貯蓄をしない】

現金を手にすると、なくなるまで使い果たします。

日本では少なくなったようですが、奥さんが旦那のお給料をしっかりと管理し、貯蓄をする・・・というようなことをしません。

一生懸命働いたお金を、奥さんや恋人に渡すと、何も考えずにぱーっと使ってしまうため、パラグアイ人の男性側もよく知っているので、奥さんにお金をすべて預けることをしない人も多いそうです。

お金がなくなったらどうするかって?

畑のマンディオカという芋を掘って食べたり、、、(自分の畑がなかったら、他人の畑からとってきたり。だから、地元の人は芋を植える量の3分の1は盗られるものだと思って、植えている人もいます。)

パパイヤやかんきつ類、などの果物は何かしら季節のものは年中採れるし、田舎で飢え死ぬことはありません。

お金を手にするとみんな使ってしまうので、経済効果は、貯蓄にまわす傾向にある日本よりはいいんじゃないいかな、と思います。

4【人のものをすぐに盗む】

日本人は、人のものと自分のものの区別がつき、おおかたは盗りませんよね。

「日本人が隣に住んでいるのなら、物は盗られないよ。でも、パラグアイ人が隣に住んでいるのなら、気をつけな。」と、パラグアイ人から言われました。

パラグアイ人同士でも警戒しあっているみたいです。

例えば、携帯電話が机に置いてあって、目の前で持ち主が見ているにも関わらず、普通に持っていこうとした!なんて人もいました。

家に人がいないと分かると、すぐに人の家へ物色しに入ろうとするのもパラグアイ人。

だから、家には24時間必ず誰か留守番がいないとだめです。

車があるかないかもさり気なくチェックされてるし、どこで見ているんだか、出かけるときに誰にも会わなくても、なぜか出かけたことをみんな知っている、なんてことも良くあります。

パラグアイ人を自宅に招いたら「この穴何!?あの植木どこへいったんだ!?」とか「そういえばあの椅子どこいったんだ!?」とか、気づくと何かがなくなっています。

「人のものを盗る」パラグアイ人ですが、その根底には一体何があるのでしょうか?

旦那の説だと、「共生」の精神から来ているのではと。

自然と共生する、人と共生する。

人のものと自分のものの区別をつけない。

これが人間の本来あるべき姿なのでは?

・・・というのが旦那の説ですが、私がパラグアイ人と接してきて感じた意見は違います。

とくにパラグアイ人の大工さんと接してきて感じたのは、「無から有を生みだすのが苦手」という点。

日本の大工さんだと、施主からの無理難題の注文に応えるべく、考えて工夫して工事をこなします。

パラグアイ人の大工さんに「ここをこういうふうに作って欲しいんだけれど」と、注文すると、「できるよ。わかった~」と気軽に返事される。

しかし、ギリギリになってもそこの部分の工事をやろうとしない。

私が「なんでやらないのか?」とたずねると、「どうしてこれが必要なの?いらないんじゃない?」と。

自分がやったことがない工事は、考えて工夫してやろうとしない。

「お金がかかってもいいから。こういう工事の方法があるよ。」と言っても、絶対に新しいことに挑戦しない。

パラグアイでこれといった産業が発展しないのは、ものづくりが苦手だからなのではないでしょうか。

物がないのなら限りある材料を、考えて工夫して作りだして日常生活に使う

お金がないのなら、何か新しいことを考えて商品として売りだす

こういったことが苦手だから、とにかく目先にある人の物を奪う、という傾向にはしるのでは?というのが私の意見です。

もしくは、スペインやポルトガルが南米を侵略してきた歴史があるから、「人の物を略奪する」というのがそのまま当たり前になってしまったのかもしれません。

真相は分かりませんが、多くの日本人にとって、「どんな物でも人のものを盗る行為」は理解しがたいと思います。

5【人懐っこいが、一線を引いて付き合わないと、必ずトラブルに】

4番目の人のものをすぐに盗る癖があるパラグアイ人の話にも通じてきます。

人懐っこく、何時間でも話したがる人たち。

移住した当初は、「やっぱラテン系で冗談ばっかり言うし、明るいな~」と思っていました。

けど、地元の日系人からは「絶対にパラグアイ人は家の中へ入れたら駄目だよ!子供であっても、気軽に入れたら駄目よ!」と言われました。

移住してから数年も経つと、言っている意味が良くわかりました。

例えば、パラグアイでは一般家庭であっても家の掃除・洗濯・炊事などをする家事手伝いの人を雇う人が多いです。

「このパラグアイ人なら信用できる」と確信し、家で雇ったとして、結構話で聞くのは「現金を盗んだ」「○○がない」とか・・・そういったことを耳にします。

家政婦が、盗人に家のあらゆる情報を流していて、家主がいない間に泥棒に入るなんてこともあります。

我が家の場合は、仲良くなった若者のパラグアイ人がいて、だんだんと距離が近くなってきて「なんかこのままいくとやばいな~」と思っていたら、、、

案の定ですよ。

我が家の情報、独特な死生観や、考え方をそのまま家で親に話していたそうで、その親から攻撃をくらったことがあります。

民族が違えば、考え方も、宗教観もまったく違います。

お互いを理解することなんてできない。

理解させる努力も、理解する努力も必要ない。

お互いに尊重し合う生き方というのは、介入せず一定の距離を保つこと。

それぞれが、それぞれの信じているものを信じた生き方でいい。

そう思うようになってきました。

6【表立って激しい言い争いの喧嘩をせず温厚にみえるが、陰口や陰湿な面がある】

「中南米の方では、結構気性が荒く、道端で殴り合いの喧嘩が多かったよ!」と旅人さんが言っていました。

そういえば、ここパラグアイでは、目の前で殴り合いの喧嘩って見たことないなぁ。

パラグアイ人同士の激しい言い合いも、ちょっとしか見たことないです。

ぁ、とある道端で私が感情的になって、ついつい声が大きくなっちゃって、周囲の人々の注目の的になったことはありますが。

パラグアイ人って、人懐っこくて温厚なのね~と思っていたら、相手がいないところでは悪口を言いまくり、悪い噂を広めまくり、勝手に想像した根も葉もない噂話も広める。

どうしても直接ズバっと、言いたくないようです。

7【すぐに火をつけたがる】

どこかの記事でも書いたと思いますが、パラグアイ人といえば、火を放つイメージがあります。

初めてパラグアイの地へ降り立ったとき、訪ねた先の家で2回の火事を経験しました。

その頃は丁度、農繁期に入っていて、パラグアイ人はまず焼畑をしてから、牛用の牧草を蒔いたりします。

燃やしたい範囲の周囲の草を刈って土を出しておいたり、少し穴を掘ったりなんてことはしません。

毎年みていると、燃やす範囲以上に燃えているようにみえます。

木製の柵や、家まで火が到達しているところもあり、干ばつのときに山で燃やして、山の一部がはげてしまったところもあります。

見ていると一度山の森がはげてしまうと、もう一度森になるには相当時間がかかるのですね。

気に入らない人の家の前に置いてある木やゴミなどに、火を放つ人もいました。

8【相手を自分よりも格下にみたがる(差別をしたがる)】

これはパラグアイの歴史上、その名残が未だに残っているせいなのかもしれません。

もともとパラグアイに住んでいた原住民たちは、スペインやポルトガルから来た支配者たちから差別をされ、宗教で洗脳され、労働として使われていました。

そして、周辺国との領地争いが続きました。

今では、原住民とスペインやポルトガルとの混血がほとんどですが、未だに原住民の血が濃そうな人に対して、下にみたり、給料はとくに安く設定されていたりします。

格下にみるのは原住民に対してだけではない。

パラグアイ人同士でも、また外国人移住者に対しても、「まだスペイン語がしゃべれないの?」と馬鹿にする人がいます。

現地のパラグアイ人でグアラニー語しかしゃべれない人もいるからです。

人を馬鹿にすることで、自分が優位に立てたと思うようです。

9【太った人が多い】

原住民の血が濃そうなパラグアイ人は、わりと細めの人をみかけますが、太ってる人が多く、女性は特にお尻と太ももが、男性はお腹まわりがすごいです。

日本だと、太ること自体が恥ずかしい・・・なんて思うみたいですが、こちらは太っている人が多いので、普通です。

パラグアイに来て最初に衝撃的だったのは、女性のスパッツ姿。

スパッツが流行っているのかどうなのか分かりませんが、黒のピチピチのスパッツをはき、トップスもぴっちりした感じのTシャツなどを着ます。

大きなお尻やパンツのラインがくっきりして、日本人的感覚でみると決して美しいとは言えません。

大きいお尻を隠すのではなく、見せたがるのがこちらの女性たちみたいです。

10【言い訳が多い】

パラグアイ人は、とにかく言い訳が多い。

素直に「ごめん。」とか「できない。」とか、絶対に言わない。

パラグアイ人が断りたいときは、まわりくどく「明日ね」とか「でも、○○だよ。」とか「考えておく」とか言う。

そういうあいまいな返事を返されたら「あ、こいつやりたくないんだな。」と思うようにしています。

たまに信じてしまうときもありますが。

例えば、「じゃあ、明日やるから」と言われ、「そっか~!じゃあ、明日待ってるね!」と言うと、おおかたはどんなに待っていても来ません。

奇跡的に約束を守って、ほんとうに来たときは「うわ!ほんとうに来たよ!?奇跡だよ!」と驚くことがあります。

嘘八百の言い訳をつぎつぎに思いつくのに長けているし、間髪いれずにまくしたてるのもお上手です。

私はパラグアイ人のスペイン語の言い訳の内容は、おおかた理解できますが、同様に私が言いたいことを、だだ~っと言い返したいのですが、まだまだ流暢にスペイン語を話すことはできないので、ある程度のことは言いますが、毎回悔しい思いが残ります。

パラグアイ人と言い合いになっても、らちがあかないので、私は旦那から知恵を拝借し、違う方法で勝つ努力をしています。

最後に

とにかく、パラグアイ人と日本人とは感覚が全く違うので、同じ感覚で接してしまうと腹が立ってくるので、一線を引くことをおススメします。

どこの国でも同じことが言えると思いますが。

一時期は日本人である私が移住してきたんだから、パラグアイ人の感覚に合わせよう、早くパラグアイに馴染もうと努力した時期もありましたが、今ではむしろ、パラグアイ人を理解はしても、自分を曲げてまで合わせるということはやめました。

胸をはって日本人として生きていく、それが大事なんだと。

それに、パラグアイはドイツ人やスイス人、フランス人などのいろいろな人種が多く移住してきていて、観察していると、それぞれのお国柄を出し、自分の習慣や考え方を変えずに、好き勝手にやっている。

それぞれが得意なものを作って販売したり、

「なーんだ。みんなそれぞれ好きにやってるんだから、私も頑張るのをやめよう。私は日本人。私は私なんだ。」と思いました。

パラグアイ人の中でも、本人は自覚していなくても、見るからに原住民の血が濃そうな人は、わりと温厚でまじめで日本人的感覚と近いものがあると感じるときもあります。

しかし、世界の中でも類をみないほど、日本人の感覚って、きわめて特別なんだと海外にいると実感します。

最近は、パラグアイ人や外国人がおかしいんじゃない。

私たち日本人がおかしいんだ。

特別な感覚や生活習慣があって、それはほかのどこの国とも共感はできない。

そう思うことにしました。